1:1 使徒18:17の会堂司とする人が多い。329(1)
1:2 ローマ1:7の注参照。329(2)
1:5 キリストを信ずるに至ったことは人のわざでなく神からの恩恵であり、またそれが知識や富のもとである。329(3)
1:7キリス卜がふたたび現われ、人が義とされて神の国が完成する時のこと。ローマ8:18以下、ピリピ3:20以下。329(4)
1:8 ピリピ1:6、1テサロニケ5:23。329(5)
1:9 コイノニア。共にすること。1コリント10:16以下。329(6)
1:10 一致はこの書簡の中心的テーマである。329(7)
1:11 女性の名。329(8)
1:12 使徒18:24以下。331(1)
1:12 ペテロのアラム語名。ヨハネ1:42。331(2)
1:12 キリスト直属を自任する人々。2コリント10:7。331(3)
1:13 信徒の集まりはキリストの体である。1コリント12:12、ローマ12:4以下。331(4)
1:14 使徒18:8。331(5)
1:14 ローマ16:23。331(6)
1:16 1コリント16:15以下。331(7)
1:17 前半は儀式、後半はこの世のことばと知恵を批判しつつ、全体で十字架の福音の重要性を強調する。331(8)
1:18 人の罪を負う十字架上の死は人の目には愚かであるが、そこにこそ神の知恵が現われる、との意。331(9)
1:19 イザヤ29:14、詩篇33:10。331(10)
1:20 人の愚かの中に神の知恵を見る姿勢である。30節参照。331(11)
1:22 ユダヤ人は目先きの奇跡を、ギリシア人はこの世の知恵を求める。十字架の福音はそのいずれとも異なる。331(12)
1:23 ガラテア5:11。331(13)
1:26 パウロはコリントの会堂から追放された。使徒18:5以下。そしてこの世的には取るに足らぬ人々を相手に福音を説いた。331(14)
1:31 エレミヤ9:23以下。331(15)
2:1 「奥義」とする写本もある。331(16)
2:2 アテナイでの体験(使徒17:32以下)を反映する。331(17)
2:3 使徒18:9。331(18)
2:4 霊はことばや知恵とちがって神の次元に属する。したがって三位一体に加えられて神を現わす。霊の復位は本書簡全体で示される。3:16、6:11、12:3以下、15:44以下など。331(19)
2:6 当時の宗教用語。全うされたもの、の意。331(20)
2:7 1コリント4:1、15:51、ローマ16:25など。331(21)
2:9 イザヤ52:15、64:4。333(1)
2:14 自然のままの、の意。333(2)
2:16 イザヤ40:13。333(3)
3:1 成熟者(1コリント2:6)に相当する。霊に導かれる信徒の生活が大切である。ローマ8:12以下。333(4)
3:1 「肉の人」「幼子」は、「生まれながらの人」(1コリント2:14)とおなじく信仰的に未熟なもの。333(5)
3:3 1節の「肉の人」と同じ。333(6)
3:4 1コリント1:12。333(7)
3:5 2コリント3:6、6:4。333(8)
3:8 この報いは機械的な応報でなく、分相応の働き(6節)という恩恵の実りである。333(9)
3:9 エレミヤ24:6。333(10)
3:10 パウロが十字架の福音を説いたことを指す。333(11)
3:13 パウロの後に他の人々がいろいろ加えたが、それはキリストを土台としなければ壊れることをいう。333(12)
3:13 火のことはアモス4:11、ゼカリヤ3:2などに出るが、ここでは救い(15節)が大切である。パウロは十字架の福音が律法を成就し最後に勝つとの信仰に生きた。そして間違った信仰の結果である分争を批判する。333(13)
3:16 神の宮については、2コリント6:16、エペソ2:21以下、ローマ8:9、ヨハネ14:23。汚れた罪の体が十字架ゆえにあがなわれて聖なる神の宮になるというところに、いわゆる宗教をこえた境地がある。333(14)
3:19 ヨブ5:12以下。335(1)
3:20 詩篇94:11。335(2)
3:22 人物を崇拝せず、分争を避けてすべてを神からゆだねられた責任を果たせ、との意。信徒に万物を賜わることについてはローマ8:32。335(3)
4:1 1コリント2:7。335(4)
4:3 裁きは具体的に、ある日になされる。使徒17:31。335(5)
4:3 パウロは自分を含めてあらゆる人間的な尺度を排して、すべてをキリストの裁きにゆだねる。335(6)
4:4 ピリピ3:6。335(7)
4:5 エレミヤ17:10、ダニエル2:22。335(8)
4:6 ローマ12:3。335(9)
4:7 コリントの信徒は元来貧しかった(1コリント1:26以下)のに、与えられた信仰によって立ち直った。それを忘れて誇るのをパウロは皮肉っている。335(10)
4:17 使徒16:1以下。335(11)
4:20 1コリント2:4、1テサロニケ1:5。この点に福音の強さがある。335(12)
5:1 父の後妻。近親関係の純潔は旧約(レビ18:8)でもローマ法でもいわれる。335(13)
5:5 死に引き渡すこと。1テモテ1:20。これ以上の肉の罪を防ぎ、霊が他の人々とともに主の日すなわち神の国完成のときに救われるように(1ペテロ4:6)の意。337(1)
5:6 マタイ13:33、16:6。337(2)
5:7 過越の祭りには種なしパンを食べる風習があった。出エジプト12:15、申命16:3。イエスはその季節に殺されたから過越にほふられる羊といわれる。337(3)
5:9 パウロとコリントとの間には現存のもののほかたびたび手紙の往復があった。2コリント2:9、7:8以下。337(4)
6:2 ダニエル7:22。337(5)
6:3 ユダヤ教で天使崇拝がさかんであった当時、パウロがキリストを中心としたことの意味は深い。337(6)
6:7 これはマタイ5:39以下のようなイエスの教え、さらに罪あるもののために十字架につく罪なき救い主の愛に結びつく。337(7)
6:11 神によりキリストを通して心身を清められ、義とされるという救いの根本が短く表現されている。エペソ5:26、テトス3:5、ローマ6:3以下。清めを儀式化し、律法化するのはこの福音に逆行する。337(8)
6:12 福音の自由と愛の実践との関係である。337(9)
6:14 復活の音信は純潔への希望と意欲を与える。ローマ14:7~9、2コリント5:15。337(10)
6:15 1コリント12:12以下、ローマ12:5。キリストはそのかしらである。エペソ5:23。337(11)
6:16 創世2:24。337(12)
6:19 1コリント3:16。339(1)
6:20 罪なき神の子の死のこと。1コリント7:23、1ペテロ1:18~19。339(2)
7:1 パウロは風紀の乱れたコリントの町で純潔を勧める。339(3)
7:5 神に近づくときは体の清純が望ましい。出エジプト19:14以下。汚れはサタン(悪魔)に結びつきやすい。339(4)
7:10 マタイ5:32、19:6以下など。このほかこの書簡はイエスのことばの伝承をしばしば反映する。9:14、11:23以下。339(5)
7:19 ガラテア5:6、6:15、ローマ2:25以下。339(6)
7:21 奴隷として十字架上に死したキリストによって罪の奴隷が自由人にされ、この解放者キリストの奴隷として、万人自由化の聖業に招かれる。ガラテア5:13。339(7)
7:28 人間的にわずらわされること。339(8)
7:32 永遠の相の下に、よりよく主に仕えるため、各人それぞれの生活をなすべきことをいう。341(1)
7:36 「おとめ」は25節以下で提起された一般論を受けて、「ある人のおとめ」という特殊な場合の対策である。娘、妹でなく広義の婚約者であろう。341(2)
7:39 パウロの独身尊重は、禁欲でなく、よりよく主に仕えるためであり、同じ理由によって結婚を認めている。341(3)
8:1 当時とくにギリシア的世界で知識(ギリシア語でグノーシス)中心の人が多かった背景を反映する。341(4)
8:2 1コリント1:19。341(5)
8:3 13章で発展する。341(6)
8:4 申命6:4、1コリント10:20以下。341(7)
8:6 コロサイ1:15以下。341(8)
8:9 律法から自由に生きつつも弱い人への愛ゆえに良識的な生活をするようパウロは勧める。福音的倫理の一面である。1コリント6:12以下、およびローマ14:1以下参照。341(9)
9:1 復活のイエスに接したこと。1コリント15:8、ガラテア1:15以下、使徒9:3以下など。341(10)
9:1 1コリント3:10、4:15。343(1)
9:2 原語は「証印」「しるし」の意。ローマ4:11など。343(2)
9:4 あなた方の費用で飲食する権利。1コリント9:14、マタイ10:10など。343(3)
9:5 ここでは結婚の可否ではなく、手助けとしての姉妹の生活費が問題なのである。343(4)
9:6 使徒4:36以下、13:2以下など。343(5)
9:9 申命25:4。343(6)
9:12 2コリント11:7以下。343(7)
9:13 民数18:8、申命18:1以下。343(8)
9:14 マタイ10:10など。343(9)
9:16 エレミヤ20:9、アモス3:8など。343(10)
9:19 2コリント4:5。もとはイエスにある。マルコ10:43以下、ヨハネ13:14以下など。343(11)
9:20 使徒16:3。343(12)
9:21 ガラテア6:2、ローマ8:2以下、3:27。救いの条件としての律法でなく、キリストに救われて生きるための恩恵の律法である。343(13)
9:22 1コリント8:7以下。343(14)
9:24 ピリピ3:14。343(15)
9:25 1コリント7:9、ガラテア5:23、使徒24:25など。禁欲でなく、自他の心身の健康のための節度である。343(16)
9:25 永遠のいのちの形容。1ペテロ5:4、黙示2:10など。343(17)
10:1 出エジプト13:21。345(1)
10:1 出エジプト14:21以下。345(2)
10:2 雲と海でモーセと深く結ばれたことをいう。345(3)
10:3 出エジプト16:14以下。345(4)
10:4 出エジプト17:6。ここで「同じ」が大切で、分争の反対の一致が考えられている。345(5)
10:5 民数14:16以下。345(6)
10:6 ここでパウロが「型」 type というのは洗礼・聖餐のおのおのに旧約で先行する型というのではなく、偶像崇拝の悪で滅びたことの型であることがいわれている。11節参照。345(7)
10:7 出エジプト32:6。345(8)
10:8 民数25:1、9。345(9)
10:9 民数21:5以下。345(10)
10:10 民数14:2、33以下。345(11)
10:17 1コリント8:4以下と同じ思想で、キリストによる一致がいわれる。エペソ4:4。345(12)
10:18 1コリント9:13、レビ7:6。345(13)
10:20 申命32:17。345(14)
10:22 申命32:21。345(15)
10:23 1コリント6:12、8:1。345(16)
10:26 詩篇24:1。345(17)
10:28 1コリント8:9以下。345(18)
10:29 ローマ14:3以下。345(19)
10:32 1コリント9:20以下。345(20)
10:33 ローマ15:2。347(1)
11:2 イエスの言行などの伝えられたもの。1コリント11:23以下、15:3以下、2テサロニケ2:15など。347(2)
11:3 キリストにあっては男も女もなく(ガラテア3:28)、また男女は相互に依存する(1コリント11:11)。しかし世の創造以来の現実として神(キリスト)- 男 - 女の順序と区別はある(創世2:18以下、エペソ5:22以下)。347(3)
11:4 1コリント12章以下に詳しい。347(4)
11:5 当時の風習(16節)と自然のさま(14節)による。347(5)
11:10 神の使い(マタイ18:10)あるいは礼拝参加者を指す。347(6)
11:18 1コリント1:11以下と分裂という点で共通する。347(7)
11:19 マタイ18:7に似る。347(8)
11:23 イエスのことばは福音書(マタイ26:26以下など)にある。347(9)
11:25 イエスによる新しい契約は古い契約の成就、すなわちすべてのものの平和と一致の実現を示す。2コリント3:6以下。347(10)
11:27 飲食の不秩序は主との間を乱し、兄弟同士を分裂させる。347(11)
11:29 殉教者ユスティノス(紀元150年ごろ)のことばに、「……イエスの祈りに導かれるこの食事は肉体となったイエスの肉と血である……」(『護教』1:65)とある。347(12)
12:1 コリントには異教の諸霊の信仰も盛んであった。パウロはキリストを中心に真の霊のことをいう。349(1)
12:2 ハバクク2:18以下。349(2)
12:3 2コリント3:17。349(3)
12:4 多神教的神秘主義が分裂に導くのに対して、ここで唯一神の同じ霊による種々の働きがいわれる。349(4)
12:6 4~6節に、神・主・霊という三位一体的思想の基盤が見られる。349(5)
12:10 日常言語でなく、神秘的恍惚境のうちに不可解な発音をするもの。それには説明が必要であった。349(6)
12:12 「体」は人格である。ローマ6:6、12:1以下。349(7)
12:28 つかわされたもの、の意で、十二使徒に限らず、パウロも自らを使徒という。1コリント9:1以下。349(8)
12:28 使徒13:1参照。預言者と教師のいずれも初期キリスト教における指導者で、この三者のほかにもいろいろあり(使徒6:1以下、ピリピ1:1など)、それらの役目に厳密な区別はなかった。349(9)
13章 この章は分裂の一因である異言の問題を扱うふたつの章の間にあり、神の愛がすべてを解決することを示す。愛の讃美はプラトン(『饗宴』197C以下)などにもあるが、パウロはキリストによる愛をいう。349(10)
13:1 2コリント12:4のような超人間的なことば。349(11)
13:2 1コリント2:6以下、4:6。349(12)
13:2 マタイ17:20。349(13)
13:3 殉教のこと。ダニエル3:19以下。351(1)
13:5 ゼカリヤ8:17。351(2)
13:8 この世の終わりに際してすべてが亡びても、愛は神からのものゆえに永遠に残ることをいう。351(3)
13:9 愛が永遠であるのは、全きもの、すなわち神に由来するからである。351(4)
13:11 1コリント3:1以下。グノーシスその他で未熟なものをいうが、ここで真の愛に生きるものが全うされることをいう。351(5)
13:12 民数14:14、2コリント3:11など。マタイ5:8の「神を見る」も救いの完成をいう。351(6)
14:5 前章とあわせると、異教的な異言よりは旧約的な預言がよく、それよりさらに新約の愛がよい、という意味になる。351(7)
14:18 パウロは異言をする感情家を刺激しないよう教育的・外交的な書き方をする。351(8)
14:19 いくつかの、数個の、の意。ルカ12:6、14:19。351(9)
14:21 イザヤ28:11、申命28:49。351(10)
14:25 ゼカリヤ8:23。353(1)
14:31 感情的・熱狂的でなく理性的・良心的な信仰生活が勧められている。353(2)
14:34 創世3:16。集会の分争(1コリント11:18)を避けるための秩序の重視である。353(3)
15:1 イエスの死と復活の音信は福音の中心。353(4)
15:3 イザヤ53:4以下。353(5)
15:4 ホセア6:2、詩篇16:10。353(6)
15:4 「しばらくして」の意でしばしばいわれる。2列王20:5など。353(7)
15:5 ペテロのアラム語名。イエスの一番弟子。弟子たちへの顕現については、マタイ28:16以下、ルカ24:34など。353(8)
15:5 イエスの直弟子を示す象徴的な数字。マタイ19:28。353(9)
15:9 ガラテア1:13、使徒9:1以下。353(10)
15:10 2コリント11:23以下。353(11)
15:13 キリストの復活と死人の復活の密接不離をいう。353(12)
15:14 ローマ6:4以下、7:4。353(13)
15:19 32節後半とも相通ずる。353(14)
15:20 ローマ8:23。355(1)
15:22 ローマ5:12以下。355(2)
15:24 ダニエル2:44はイエスの復活による万人の救いという形で実現する。なおエペソ6:12参照。355(3)
15:25 詩篇110:1、マタイ22:44。355(4)
15:26 55節、イザヤ25:8、黙示20:14、21:4。霊魂不滅という空想に陥らず、また死を悪魔という神話的なものとせず、罪の結果としての死という現実が罪のない神の子の死と復活によって克服される、という思想である。355(5)
15:27 詩篇9:7。355(6)
15:28 ローマ11:36。355(7)
15:29 いわゆる代理洗礼で、不信者の死人に代わって洗礼を受ける風習があった。パウロはそれを用いて復活を説明する。355(8)
15:30 2コリント4:10以下、6:4以下。355(9)
15:31 2コリント1:14、1テサロニケ2:19。355(10)
15:32 2コリント11:26以下のように、パウロが各地で苦しんだ体験のひとつである。355(11)
15:32 イザヤ22:13。355(12)
15:33 メナンドロス(前4~3世紀)の喜劇『タイス』の引用。355(13)
15:36 ヨハネ12:24。355(14)
15:38 1コリント12:18。355(15)
15:41 ダニエル12:3。355(16)
15:45 22節。355(17)
15:45 ローマ8:11。355(18)
15:47 創世2:7。355(19)
15:49 創世5:3。355(20)
15:51 1テサロニケ4:15。当時、世界が空間的にこんにちよりも狭く考えられたように、世の終わりも時間的に短く見られていた。さらに、天に国籍を置くものは(ピリピ3:20)、この世とわが身の終わりとを差し迫った形で見る。355(21)
15:52 1テサロニケ4:16。355(22)
15:55 イザヤ25:8、ホセア13:14。357(1)
15:58 1テサロニケ4:18。新約的な終末論では救いに重点が置かれる。357(2)
16:1 経済はパウロの活動のなかで重要な位置を占める。ローマ15:26、ガラテア2:10、2コリント8:4以下など。357(3)
16:2 キリスト信徒は、復活の日である日曜に集まりはじめ、日曜日を「主の日」と呼んだ。黙示1:10。357(4)
16:5 使徒19:21以下。357(5)
16:8 過越から7週(49日)の日の祭り。出エジプト34:22。357(6)
16:9 2コリント2:12など。357(7)
16:10 1コリント4:17、使徒16:1。357(8)
16:12 1コリント1:12。357(9)
16:15 1コリント1:16。357(10)
16:19 使徒18:2以下、ローマ16:3以下など。357(11)
16:22 黙示22:20。357(12)