1:1 小アジアの諸地方でギリシア文化が栄えていた。479(1)
1:1 ヤコブ1:1の注。479(2)
1:1 1ペテロ2:11、ヘブライ11:13。479(3)
1:1 人間の力によらず神からの召し(15節)によって選ばれた人々。479(4)
1:2 神はすべてを予知予定される(ローマ8:29)。479(5)
1:2 この書簡にたびたび出る(1:14、22、2:13、18、3:1、5、5:5)。479(6)
1:2 十字架上の死のこと(ピリピ2:8)。479(7)
1:2 この節全体が父、子、聖霊の三位一体を指向する。479(8)
1:3 キリストの復活は信徒を新しく生かす(1ペテロ1:23、2:2)。479(9)
1:4 マタイ25:34、ローマ8:17。479(10)
1:5 この世が終わって神の国が来て完成する救いが今そなえられているという意味。479(11)
1:6 今は悲しみつつもしばらくしての救いの希望のゆえによろこびがある(8~9節)。479(12)
1:7 1ペテロ1:5、13、4:13。キリストの再臨のこと(1テサロニケ4:15以下)。479(13)
1:10 マタイ13:17、2ペテロ1:19。481(1)
1:11 キリストを示す霊とも先在のキリストの霊ともとれる。キリストと霊とは相関的に解すべきである。481(2)
1:11 ルカ18:31、イザヤ53:1以下。481(3)
1:12 ユダヤ教で信ぜられた天使の見ることができなかったことが信徒に示された意。初期の信徒はキリストをすべての権威の上にあると信じ、天使崇拝に批判的であった(ローマ8:38、1コリント6:3など)。481(4)
1:14 キリストに救われるものは真の知恵を与えられる(1コリント1:30など)。481(5)
1:16 レビ11:45、19:2。481(6)
1:17 ヤコブ2:1の注。481(7)
1:17 1ペテロ1:1の注。481(8)
1:18 ローマ8:20。481(9)
1:18 ローマ3:24、マルコ10:45。481(10)
1:19 ヨハネ1:29、イザヤ53:7。481(11)
1:20 ヨハネ17:24。481(12)
1:23 ヘブライ4:12。481(13)
1:25 イザヤ40:6以下。481(14)
2:2 logikos ← logos は1ペテロ1:23を受けて「ことばの」とも訳せる。481(15)
2:2 新生の子の成長に関していわれたので、1コリント3:2、ヘブライ5:12以下のように堅い食物に対立させた考えはない。481(16)
2:3 詩篇34:8。481(17)
2:5 1ペテロ2:6の注。481(18)
2:5 エペソ2:20以下、4:12。481(19)
2:5 祭司でなかったパウロがキリストの福音によって霊的な礼拝をし(ローマ12:1)、神と人との間を整える祭司の役をした(同15:16)と同じ意味(黙示1:6、5:10)。ヘブライ(2:17など)は祭司でなかったイエスを大祭司とする。481(20)
2:5 ヘブライ13:15以下、ピリピ2:17、4:18。481(21)
2:6 イザヤ28:16。481(22)
2:7 詩篇118:22(マタイ21:42)。481(23)
2:8 イザヤ8:14。483(1)
2:9 物心両面の奴隷状態から解放されたものである(出エジプト19:6、イザヤ43:20以下、61:6)。483(2)
2:10 ホセア1:6、10、2:1、23(ローマ9:25~26)。483(3)
2:11 1ペテロ1:1の注。483(4)
2:11 ローマ7:15以下。483(5)
2:12 ルカ19:44。この節全体はマタイ5:16に似る。483(6)
2:13 ローマ13:1~7、テトス3:1。病者にとって病院の秩序が感謝すべきと同じく、弱者にとって世の秩序は尊い。483(7)
2:16 僕(しもべ)として死したキリストのみ力によって、神の僕になるところに真の自由がある(ガラテア5:13)。483(8)
2:18 奴隷制の肯定でなく、無抵抗による勝利の示唆である。頬を打つもの等への態度の教え(マタイ5:39以下)でも、打つこと等が是認されてはいない。奴隷解放がキリスト信徒によって実践されたことは歴史の示すとおりである。483(9)
2:21 十字架への道をたどったイエスの姿勢(マルコ10:45)が模範である。彼に近かった直弟子ペテロの面影が見える。483(10)
2:22 イザヤ53:4以下。483(11)
2:24 原語は「木」(申命21:22以下)。483(12)
2:24 ローマ6:2以下。483(13)
2:25 1ペテロ5:4、イザヤ53:6、エゼキエル34:6、23、ヨハネ10:7以下。483(14)
3:1 エペソ5:22、テトス2:4以下。483(15)
3:3 1テモテ2:9以下、イザヤ3:18以下。483(16)
3:6 創世18:2。当時アブラハムら族長の妻は女性の模範とされた。483(17)
3:7 エペソ5:25など。483(18)
3:9 1テサロニケ5:15、マタイ5:39以下。483(19)
3:12 詩篇34:12~16。485(1)
3:14 イエスによって示される新しい幸福観である(マタイ5:10など)。485(2)
3:14 イザヤ8:12~13がキリストにあてはめられる。485(3)
3:15 誤解と迫害に苦しむ信徒が、つねに答えうるようにとの勧めである(コロサイ4:6)。485(4)
3:17 1ペテロ2:12以下。485(5)
3:18 イエスの死と復活をいう(ローマ6:10。ヘブライ9:28)。485(6)
3:19 死者のいる所。485(7)
3:19 以下1ペテロ4:6までキリストの黄泉(よみ)下りの箇所である。使徒信条にもあり、未信者の救いに関する重要な問題である。485(8)
3:20 創世7:7、ルカ17:27以下。485(9)
3:21 当時肉体を清めるだけで精神面を軽んじた人々への批判である。485(10)
3:21 ローマ6:4。485(11)
3:22 エペソ1:20以下。485(12)
4:1 エペソ6:13以下など。485(13)
4:3 罪のカタログはローマ1:29などにもある。485(14)
4:4 悔い改めるものへのこの世の反発である。485(15)
4:5 使徒10:42、2テモテ4:1。485(16)
4:6 死者(異教徒を含む)にもキリストの福音が及ぶところに福音の普遍性がある。485(17)
4:6 1ペテロ3:18。485(18)
4:7 キリストの再臨による世の終わりが近いがゆえにキリストにある愛を、というのが福音的倫理の基本線である(ローマ13:11以下)。485(19)
4:8 箴言10:12、ルカ7:47。485(20)
4:9 ローマ12:13、ヘブライ13:2など。485(21)
4:11 教えと実践の両面である(ローマ12:7)。485(22)
4:13 1ペテロ2:21、ローマ8:17以下。485(23)
4:14 この辺りマタイ5:11~12の「さいわい」を思わせる。487(1)
4:16 この名(使徒11:26)には元来侮りの意味があったといわれる。なお、マタイ10:32、使徒5:41。487(2)
4:17 エゼキエル9:6、エレミヤ25:29。イエスのエルサレム上りも救いと裁きの両面がある(1コリント11:32、ヘブライ12:6など)。487(3)
4:18 箴言11:31、ルカ23:31。487(4)
5:1 集まりの指導者(1テモテ5:17、テトス1:5以下)。487(5)
5:2 1ペテロ2:25。487(6)
5:3 2コリント1:24、マルコ10:45。487(7)
5:4 1ペテロ2:25。487(8)
5:5 ヤコブ4:6、箴言3:34など。487(9)
5:8 1ペテロ1:13。487(10)
5:8 1テサロニケ5:6。487(11)
5:8 詩篇22:13。487(12)
5:10 1ペテロ1:6。487(13)
5:12 2コリント1:19、1テサロニケ1:1など(シルワノはラテン名で使徒15:22、40、18:5のシラスと同じ)。この書簡の美しいギリシア語は彼による。487(14)
5:13 ローマのこと(黙示14:8など)。487(15)
5:13 使徒12:12。487(16)