1:1 旧約では神(詩篇24:5など。現行口語訳では「救いの神」)、時として指導者(士師3:9など。邦訳「救助者」)、新約ではイエスを指す場合が多いが、牧会書簡ではここのように神(この他1テモテ2:3、4:10、テトス1:3、2:10、3:4)とイエス(2テモテ1:10、テトス1:4、2:13、3:6)と双方に用いられる。425(1)
1:4 原語ミトス。しかしここでは思想のある神話でなく、浅薄な作り話(1テモテ4:7、2ペテロ1:16)。425(2)
1:4 当時のユダヤ教でアブラハム以降の家系についての思弁が行なわれていた等のことへの批判である(ヘブライ7:3)。マタイ1:1以下はそのような状況の中で救い主の堂々たる家系を示す。425(3)
1:5 愛が究極の目標である(ローマ13:10、1コリント13章など)。425(4)
1:8 ローマ7:12以下。425(5)
1:10 原語 hygiainein, hygiês→英語 hygiene 「衛生」。心と体はひとつである。この語は牧会書簡に多い(1テモテ6:3、2テモテ1:13、4:3、テトス1:9、13、2:1、2、8)。427(1)
1:11 「さいわい」は神の性質で(1テモテ6:15)、神の愛はそれを人に分かち与えようとする。427(2)
1:13 ガラテア1:13、ピリピ3:6、使徒9:1以下。427(3)
1:15 福音の根本を示すこの句は牧会書簡に五度出る(1テモテ3:1、4:9、2テモテ2:11、テトス3:8)。427(4)
1:15 他人との比較でなく、16節が示すように最大のあわれみを受けるものの告白である。427(5)
1:18 新約時代の霊的活動の一種(1テモテ4:14、1コリント14:37以下など)。427(6)
1:19 ローマ2:15など。427(7)
1:20 2テモテ2:17。427(8)
1:20 2テモテ4:14。427(9)
1:20 集まりから除外すること(1コリント5:5)。427(10)
2:1 4節、6節にも繰り返される。第一の罪びととの意識は万人の救いを祈らせる。427(11)
2:2 ローマ13:1以下など。弱いものにとって社会秩序は恩恵である。427(12)
2:2 新約中十五度の中、牧会書簡に十度出る語(ここのほか1テモテ3:16、4:7、8、6:3、5、6、11、2テモテ3:5、テトス1:1)。427(13)
2:5 ヘブライ9:15。427(14)
2:6 マタイ20:28。427(15)
2:6 1テモテ6:15、テトス1:3、ガラテア4:4。427(16)
2:8 マルコ11:25。427(17)
2:9 1ペテロ3:2以下。427(18)
2:12 1コリント14:34以下。427(19)
2:15 子を生まなければ救われないという律法ではなく、禁欲を排しつつ(1テモテ4:3)、母性を祝福する福音である。427(20)
3:1 長老等と同じく職業的でない集まりの指導者(テトス1:5~7、使徒20:17、28)。429(1)
3:4 徳の列拳はテトス1:5~9、ローマ12:13以下参照。429(2)
3:6 7節の終わりに「わな」とあるように悪魔による裁きと取る説が有力である。悪魔が神から受ける裁きを共に受けると解しても実質的には変わりない。429(3)
3:8 ピリピ1:1。429(4)
3:9 16節。429(5)
3:13 マルコ10:43~44。429(6)
3:15 ヘブライ3:6。429(7)
3:16 一種のキリスト讃歌。429(8)
3:16 ヨハネ1:14。429(9)
3:16 ローマ1:4。429(10)
3:16 義の神の世界に迎えられること(ヨハネ16:8)。429(11)
3:16 ピリピ2:9参照。キリストの昇天を指す(ルカ24:51、使徒1:9)という説もある。429(12)
4:1 世の終わりについての黙示と預言をいう。霊の真偽については2テサロニケ2:2以下、1ヨハネ4:1以下。429(13)
4:3 カナの婚礼を祝幅し(ヨハネ2:1以下)、自由に飲食したイエス(マタイ11:19)は禁欲的でない。パウロも結婚を許し(1コリント7:36)、飲食についても縛られない(ローマ14:1以下)。429(14)
4:4 テトス1:15、1コリント10:26、30など。429(15)
4:7 1テモテ1:4。429(16)
4:8 パウロは運動のたとえをしばしば用いる(ガラテア2:2、1コリント9:24以下、ピリピ3:12以下など)が、ここでは心のことを優先させる。429(17)
4:13 ルカ4:16以下、使徒13:15など。429(18)
4:14 カリスマ。2テモテ1:6。429(19)
4:14 重要な使命を与えるとき手を置くことは古代の風習であった(民数27:18、23)。431(1)
5:2 信仰で結ばれる父母兄弟姉妹という家庭的な集まりの面影を示す。431(2)
5:3 物質的援助を含む。なお、やもめへの親切は旧約以来といわれている(出エジプト22:22、エレミヤ7:6など)。イエスも宗教家批判に際して、それをいう(マルコ12:40)。431(3)
5:4 信仰深いやもめアンナのように(ルカ2:37)。431(4)
5:6 生ける屍(黙示3:1)。431(5)
5:9 1テモテ3:2。431(6)
5:10 ルカ7:44、ヨハネ13:4以下。431(7)
5:12 献身の心を変えること。431(8)
5:14 パウロは場合によっては結婚を勧める(1コリント7:9)。431(9)
5:16 助け手のない人を助けるところに集まりの使命がある。431(10)
5:17 1テモテ4:14。431(11)
5:18 申命25:4、1コリント9:9。431(12)
5:18 マタイ10:10、ルカ10:7。431(13)
5:19 申命19:15、マタイ18:16、2コリント13:1。431(14)
5:21 マルコ8:38の聖なるみ使いたちに相当する。この反対が堕落した天使である(ユダ6、2ペテロ2:4)。なお、天使は霊的存在であるがゆえに、ここの神・キリスト・天使に三位一体説へのひとつの段階を見うる。431(15)
5:23 ここでも禁欲への警戒がなされる(1テモテ4:3)。431(16)
5:25 22節の慎重論につづく。431(17)
6:1 パウロは奴隷について保守的とも見うる発言をするが(エペソ6:5以下)、信仰においてすべてが自由であり(1コリント7:22)、キリストにあってひとつである(ガラテア3:28)という。福音は永遠の相の下、平和のうちに解放を待つことを教える。奴隷解放はキリスト信徒によってはじまったという史実の意味は深い。433(1)
6:2 兄弟との美名の下の悪平等は有害である。433(2)
6:3 1テモテ1:10。433(3)
6:4 ヨハネ9:40以下。433(4)
6:6 原語 autarkeia はストアの徳でもある。433(5)
6:7 ヨブ1:21。433(6)
6:11 旧約以来、指導者の尊称(1列王13:1以下など)。433(7)
6:12 形式的でなく、大勢の前でなされた信仰告白である。433(8)
6:13 ヨハネ18:36以下。433(9)
6:15 申命10:17。433(10)
6:15 人間には知らされないある時点(テトス1:3、1テサロニケ5:1、マルコ13:32、使徒1:7)。433(11)
6:16 出エジプト33:20。433(12)
6:18 よろこんで与える幸福が新しい共同体の基盤であった。433(13)
6:19 キリストにある共同体の意識が永遠の富の基である(マタイ6:20)。433(14)
6:20 異教的な知識のこと(1テモテ1:3以下)。433(15)