1:1 1コリント4:17使徒16:1以下359(1)

1:1 ギリシア中央部で、当時ローマ帝国の一州。359(2)

1:8 ローマ帝国の一州でエペソが中心。359(3)

1:8 1コリント15:32使徒19:23以下など。359(4)

1:12 1コリント1:20以下359(5)

1:14 1コリント1:8。神の国の完成の時。359(6)

1:16 使徒16:9ローマ15:26など。359(7)

1:17 パウロが旅行計画をたびたび変更したのが批判されたからである。ヤコブ5:12後半参照359(8)

1:21 キリストとは油そそがれたものの意であり、信徒がすべて彼のごとくされることをいう。359(9)

1:22 2コリント5:5エペソ1:14など。359(10)(11)

1:24 1コリント3:9参照。パウロの謙遜な姿勢はイエスに由来する。マタイ20:28など。361(1)

2:4 パウロは悲しみの中にあって愛の方向で事を処理しようとする。361(2)

2:6 自らを苦しめるものは他の人々をも苦しめてその報いを受けているがゆえに、むしろその人を慰めよう、という愛の姿勢である。キリストに罪をゆるされて慰められたものに示される道である。361(3)

2:12 使徒16:8以下361(4)

2:13 2コリント7:6テトス1:4361(5)

2:14 元来、ささげられる犠牲の香り。創世8:21出エジプト29:18361(6)

2:17 取引の材料にする意。361(7)

3:1 当時、ユダヤ教の集まり相互に、この風習があった。新約中のピレモン書もその一例。361(8)

3:2 1コリント9:2361(9)

3:3 出エジプト31:18361(10)

3:6 1コリント11:25361(11)

3:6 ローマ7:6361(12)

3:7 出エジプト34:30361(13)

3:9 人を義にする奉仕。363(1)

3:16 出エジプト34:34363(2)

3:17 ヨハネ4:24363(3)

3:17 ローマ8:2363(4)

3:18 ピリピ3:21363(5)

4:2 パウロの敵の描写。363(6)

4:4 悪魔のこと。363(7)

4:4 コロサイ1:15363(8)

4:5 パウロの敵の自己宣伝。363(9)

4:5 2コリント1:24363(10)

4:6 創世1:3363(11)

4:7 パウロのいう弱い肉体(2コリント12:7以下)、あるいは土から造られた人間(創世2:71コリント15:47)。363(12)

4:10 ローマ6:5以下363(13)

4:12 パウロはキリストとともに苦しんで、コリントの人々にいのちが与えられるよう努めている。コロサイ1:24363(14)

4:13 詩篇116:10(七十人訳聖書)。363(15)

4:16 ローマ7:22エペソ3:16363(16)

4:17 ローマ8:17以下363(17)

5:1 人間の体が幕屋にたとえられる。イザヤ38:122ペテロ1:13以下365(1)

5:2 衣と住とが交錯して救いの状態のたとえに用いられる。キリストを着る(ローマ13:14)、新しい人を着る(エペソ4:24)ともいわれる。365(2)

5:8 ピリピ1:23365(3)

5:10 神による裁きのことである。ローマ14:10。究極にはキリストによる救いが待っている。1テサロニケ5:91コリント3:11~15365(4)

5:11 神に救われる希望は人の前で事が明らかにされることを望ませる。365(5)

5:12 2コリント3:1以下365(6)

5:13 「狂うほどの熱心」とは神とパウロとの間のことであり、人々に対しては冷静であるという。異言よりは預言と愛という論法(1コリント12~14章)と相通ずる。365(7)

5:14 ローマ6:1~11365(8)

5:16 パウロが人間イエスに会ったことがあるなしでなく、彼を救い主として信ずるか否かである。365(9)

5:17 ガラテア6:15。この世の悪が滅ぼされて新しい世が創造される積極的な終末論である。イザヤ66:22黙示21:1365(10)

5:18 キリストによって神との平和を与えられること(ローマ5:1)によって互いの平和をも与えられる。神によって義とされること(ローマ3:21以下)は人と人の間を義へと導く。キリストによる新しい創造はこのように具体化する。365(11)

6:2 イザヤ49:8365(12)

6:3 1コリント9:12365(13)

6:4 2コリント11:23以下365(14)

6:6 ガラテア5:22以下367(1)

6:7 武器のたとえ。ローマ6:1313:12エペソ6:14など。367(2)

6:8 2コリント4:7以下367(3)

6:10 キリストを信ずるものは、悲しみのなかに真のよろこびを、貧のなかに真の富を与えられる。富については、ローマ10:128:32。キリスト信仰は新しい富の見方を示し、その新しい意味で人を富ませる。2コリント8:9以下367(4)

6:14 申命22:10367(5)

6:15 「無用」の意。悪魔あるいは反キリスト(2テサロニケ2:3以下)のこと。367(6)

6:16 1コリント3:16367(7)

6:16 レビ26:12エゼキエル37:27367(8)

6:17 イザヤ52:11エゼキエル20:34367(9)

6:18 2サムエル7:14イザヤ43:6367(10)

7:3 2コリント6:11~13367(11)

7:6 2コリント2:13に対応する。367(12)

7:8 2コリント2:3367(13)

7:10 悲しみ自体ではなく、神に従っての悲しみが救いへと導くゆえに尊い。367(14)

7:12 2コリント7:8および2:3以下367(15)

8:1 ローマ15:26ピリピ4:15~18。このあたりでしばしばいわれる恩恵とは、与えて助けるさいわいをいう。使徒20:35。キリストのごとく自ら貧しくなって人を富ませることである。2コリント8:9369(1)

8:7 真の信仰生活は愛の実践へと結実する。369(2)

8:9 ピリピ2:6以下369(3)

8:13 相互扶助による平等。369(4)

8:15 出エジプト16:18369(5)

8:18 兄弟の名はいわれない。使徒20:4の同行者のなかという可能性はある。369(6)

8:19 貧しいものへの援助は初期の信徒の活動の根幹である。ガラテア2:10369(7)

8:21 ローマ14:18369(8)

9:5 原語 eulogia には「祝福」の意味がある。371(1)

9:6 箴言11:24以下371(2)

9:7 2コリント8:3ローマ12:8ピレモン14箴言22:9371(3)

9:9 詩篇112:9。この「義」とはマタイ6:1のように、「いつくしみ」の意。371(4)

9:10 イザヤ55:10ホセア10:12371(5)

9:12 信仰によって人に与えるものは自ら祝福が増す。神の愛の創造力を自ら体験することができる。個人にはじまる救いには社会性がある。371(6)

10:1 直接会えば柔軟でも手紙では強気と思われることはしばしばある。敵は両方の場合に非難する。2コリント10:9以下371(7)

10:6 2コリント2:5以下371(8)

10:15 ユダヤ教至上主義者その他パウロの敵の妨害を反映する。ローマ15:20373(1)

10:16 スペインまでが考えられる。ローマ15:23373(2)

10:17 エレミヤ9:23以下373(3)

11:2 キリストと信徒との婚姻関係はエペソ5:26以下黙示14:419:9など。なお、神との婚姻関係は旧約にもある。エレミヤ31:32エゼキエル16:8~14など。373(4)

11:3 創世3:413373(5)

11:4 ガラテア1:6~9。すなわち十字架による無条件の救い以外のこと。373(6)

11:5 自己推薦の人々でパウロの敵。2コリント10:12以下など。偽使徒(13節)も同じ。パウロは彼らを犬(ピリピ3:2)ともいう。373(7)

11:7 1コリント9:12以下373(8)

11:8 たとえばピリピ4:10以下373(9)

11:9 経済的独立については1コリント9:12373(10)

11:9 ピリピ4:15以下373(11)

11:13 2コリント11:5の注参照。373(12)

11:14 黙示2:9マタイ24:24など。373(13)

11:15 ガラテア5:10ローマ2:6373(14)

11:17 あらゆる誤解に対して黙っていない人間パウロの一面。373(15)

11:22 ピリピ3:4以下373(16)

11:23 1コリント4:10以下373(17)

11:24 申命25:3373(18)

11:25 使徒16:22以下373(19)

11:25 使徒14:19373(20)

11:25 使徒27章など。373(21)

11:26 ガラテア2:4など。375(1)

11:30 2コリント12:5375(2)

11:32 ナバテア王アレタス4世(紀元前9~後39)。375(3)

11:33 使徒9:23以下375(4)

12:1 やむをえぬ誇りについては2コリント11:17参照。375(5)

12:1 ルカ1:22375(6)

12:1 ガラテア2:2。「幻」と「啓示」とは一体をなす。使徒16:9375(7)

12:2 ここでパウロは自らの体験を語る。375(8)

12:2 天の最高の所で、パラダイス(4節)と同じ。375(9)

12:2 1テサロニケ4:17使徒8:39黙示12:5375(10)

12:4 人間の限界をこえる次元での表現のことである。1コリント2:9375(11)

12:5 誇りはキリストの啓示のゆえであり、自らについて誇りうるのは2コリント11:30のように弱さである。同12:9以下375(12)

12:6 ここで、自らの体験の事実の誇りと、誇ること自体への反省との双方をいう。375(13)

12:7 病のこと。ガラテア4:14375(14)

12:8 重要な祈りは三度なされることが多かった。マタイ26:44375(15)

12:9 病をあきらめるのでなく、恩恵として感謝し、喜んで新しい力を誇る福音の積極性が見られる。375(16)

12:10 自らの弱さと他者からの妨害とが結びつけられているが、妨害を妨害と感ずるところに弱さがあるから、両者はひとつである。2コリント6:4以下375(17)

12:11 2コリント11:5375(18)

12:12 ローマ15:19ガラテア3:51テサロニケ1:5375(19)

12:13 2コリント11:7以下375(20)

12:14 1コリント4:14以下375(21)

12:18 2コリント8:61822375(22)

12:20 罪のカタログ。ガラテア5:19以下など。377(1)

13:1 申命19:15。コリントの不幸な事件には、つねに証人が十分にある、との意。377(2)

13:3 5節にもつづく。2コリント10:18377(3)

13:3 弱い姿で十字架につき、強い姿で復活された救い主に従う信徒も同じである。2コリント12:10377(4)

13:7 コリントに平和な信仰の集まりの成長することがパウロの念願である。377(5)

13:9 2コリント10:2以下12:9以下と相通ずる。377(6)

13:10 2コリント10:6377(7)

13:13 1コリント12:4以下マタイ28:19などとともに三位一体説への方向を示す箇所である。377(8)