1:3 1テサロニケ1:2。真の信仰は愛のわざを生み、それは伸び、また増す。421(1)

1:6 1テサロニケ3:3の注421(2)

1:7 ローマ12:19以下。旧約とちがって新約での報いは究極において救いのためであることをパウロ書簡全体が示す。421(3)

1:7 イザヤ66:15ダニエル7:9以下。このあたり旧約の引用が多いのは黙示録やマルコ13章など世の終わりのところと似る。裁きがつねに意識されていたのである。421(4)

1:7 キリスト再臨のこと(1テサロニケ4:16など)。421(5)

1:8 エレミヤ10:25。ここで旧約の引用にすぐつづいて主イエスの福音といわれるのは、旧約新約の一体性、すなわち新約の福音が旧約の律法を完成することを示す(ローマ1:1~6)。このことは2章での再臨狂批判の土台になる。421(6)

1:9 イザヤ2:10421(7)

1:10 信徒の救いが神の子を栄化する(ヨハネ17:10)。423(1)

1:11 救いへの招きは罪のない、すなわち義とされた状態への招きである(ピリピ1:6など)。423(2)

1:12 ヨハネ17:22など。423(3)

2:1 キリストの再臨のこと(1テサロニケ4:13以下)。423(4)

2:2 「われらからと称する」を霊とことばと手紙の三つにかけるか、手紙だけにかけるかの両説がある。いずれにせよ世の終わりの音信が誤って受けとめられて、すべてがすでに成就したと信ぜられたので、それに対して冷静な終末論の勧めがなされている(マルコ13:7以下)。423(5)

2:3 世道人心の末期的退廃(マタイ24:10以下)。423(6)

2:3 反キリスト Antichrist のこと。423(7)

2:4 エゼキエル28:2423(8)

2:6 悪魔が一時引き止められることは黙示文学に例がある(黙示20:2など)。423(9)

2:7 異教にも奥義はある(黙示17:5)。423(10)

2:9 マタイ24:24423(11)

2:14 2テサロニケ1:12423(12)

2:15 2テサロニケ2:2の別のいい方。423(13)

3:2 マタイ6:13423(14)

3:8 1テサロニケ2:9424(1)

3:12 1テサロニケ4:11424(2)

3:15 マタイ18:15424(3)

3:17 筆記させた後の自筆(1コリント16:21など)。424(4)