1:1 「啓示」と同義の場合もあるが(ガラテア2:2など)、多くは栄光のキリストとそれに伴うことの顕現を指す。ここでは天使が介入する。509(1)
1:1 信徒のこと。509(2)
1:1 キリストの来臨によって神の国の始めを示されるものはその完成が間近いことがわかる(黙示1:3)。509(3)
1:2 ヨハネ1:1のようなヨハネ的表現。509(4)
1:2 ヨハネ3:11。509(5)
1:3 黙示録に7回出る(14:13、16:15、19:9、20:6、22:7、14)。はげしい環境での信仰の幸福である。509(6)
1:3 神から伝えられることである(黙示19:10)。509(7)
1:3 黙示1:1の「間もなく」のような意味での緊迫感。509(8)
1:4 小アジアのこと。509(9)
1:4 黙示1:1に列挙される。509(10)
1:4 出エジプト3:14に似る。神とキリストの両方にあてはまる。4~6節で父・子・霊の三位一体の神が示される。509(11)
1:5 救世主は証人である(イザヤ55:4)。509(12)
1:5 復活者の初穂(1コリント15:20)。509(13)
1:5 キリストが十字架上血を流して罪をゆるすこと。509(14)
1:6 祭司でないものに神と人との間を整える祭司の職を与える(出エジプト19:6、1ペテロ2:5など)。509(15)
1:7 救い主の来臨の形(ダニエル7:13、マタイ24:30)。511(1)
1:7 十字架上に彼を殺した人々(ゼカリヤ12:10、ヨハネ19:37)。511(2)
1:8 ギリシア語アルファベットの最初と最後。17節の「いやさき」「いやはて」と同じ意味。511(3)
1:8 旧約に多い。新約でパウロに1度(2コリント6:18)、黙示録に9度出る。511(4)
1:9 信仰生活の様相である。「支配」は「玉国」とも訳せる。奴隷状態から解放されて神の国の責任者にされることである(黙示22:5など)。511(5)
1:9 エーゲ海の小さい島。ヨハネはここに流されていたか迫害を避けていたかして黙示を体験した。511(6)
1:10 日曜(使徒20:7)。511(7)
1:10 神の次元に導かれて黙示を与えられる状態。511(8)
1:10 世の終わりに神的顕現が行なわれるときのしるし(マタイ24:31、1コリント15:52、1テサロニケ4:16)。511(9)
1:11 文字化して広く知らせよ、の意。個人的な恍惚境にとどまる神秘主義とはちがう。511(10)
1:12 ゼカリヤ4:2~6。511(11)
1:13 ダニエル7:13のような救い主、裁き主の意。511(12)
1:14 ダニエル7:9。511(13)
1:14 ダニエル10:6。511(14)
1:16 イザヤ49:2。511(15)
1:17 聖なるものへの畏敬のゆえである(エゼキエル1:28、ダニエル8:18など)。511(16)
1:18 復活のキリストのこと(ヨハネ5:26、ルカ24:5、ローマ14:9)。511(17)
1:18 キリストは墓に収められ、死者の世界に下って福音を説いた(1ペテロ3:18以下)。511(18)
1:20 天使と集会、すなわち信徒とその集まりの黙示録的表現。511(19)
2:1 アルテミスの神殿のあったギリシア的な大都会(使徒19章)。七つの集会の首位に置かれるのは、そこに古くから信徒の集まりがあったからであろう。511(20)
2:1 黙示1:16、20。511(21)
2:4 入信当初の純粋な信仰のこと(ガラテア4:15)。511(22)
2:6 黙示2:15にも出る。多神教を許容する自由放縦思想の異端。511(23)
2:7 マルコ4:9など。511(24)
2:7 エデンの園のこと(創世2:8以下)。黙示録はその回復を望み見ている。511(25)
2:7 創世2:9、エゼキエル47:7、12など。511(26)
2:8 良港でエペソと繁栄を競った文化都市。ここで2世紀の殉教者ポリュカルポスが活動した。511(27)
2:8 黙示1:17。511(28)
2:8 黙示1:18。十字架に死して復活した方(ローマ14:9)。511(29)
2:9 迫害下で貧しくとも、真の富を与えるキリスト信仰のゆえに富んでいる(2コリント6:10。8:2)。513(1)
2:9 ローマ2:17以下。513(2)
2:10 ダニエル1:12。513(3)
2:10 1コリント9:25。513(4)
2:11 黙示20:6。513(5)
2:12 多くの神殿と図書館で有名な文化都市。英「パーチメント」、独「ぺルガメント」(羊皮紙)の名はここに由来する。513(6)
2:12 黙示1:16、ヘブライ4:12。513(7)
2:13 キリストの名に忠実なものは彼自身に忠実である。513(8)
2:13 詳細は不明の殉教者。513(9)
2:14 偶像の奨励者(民数31:16)。バラムの方向をニコライの人々が受けついだと考えられる。513(10)
2:14 イスラエルに呪いを与えたモアブの王(民数22~24章、ミカ6:5)。513(11)
2:17 砂漠で与えられた天来の食物(出エジプト16章)。世の終わりには隠されたマナが与えられると考えられた(外典第2マカベア書2:4以下)。イエスによってマナは新しい意味を持つ(ヨハネ6:31以下)。513(12)
2:17 古代のお守りを連想させる。513(13)
2:17 キリストの名は今までになかった救いを示すゆえに新しさがある(黙示19:12)。ピリピ2:9以下も同じ趣旨。513(14)
2:18 ペルガモンの東南50キロにあり商工業の一中心(使徒16:14以下)。513(15)
2:18 ダニエル10:6。513(16)
2:19 信仰生活の実り。513(17)
2:19 2節に似る。513(18)
2:20 預言者エリヤを迫害した異教の女王(1列王16:31以下)。偶像崇拝は不義につながる(1コリント10:20以下)。513(19)
2:23 エレミヤ17:10。513(20)
2:24 信仰は神の深みを示されることであるが(1コリント2:10)、サタンも自らの深さを主張する。513(21)
2:27 詩篇2:9、黙示12:5。513(22)
2:28 黙示22:16ではキリストのこと。キリストはキリスト的なものを人に与える。星の出現については民数24:17参照。513(23)
3:1 スミルナの東、約80キロ。リュディアの首都として栄え、ローマ時代にも重要であった。513(24)
3:2 終末での目ざめはたびたびいわれる(マルコ13:33など)。513(25)
3:3 思いがけぬ時に、の意(マタイ24:43以下、1テサロニケ5:2)。515(1)
3:4 出エジプト28:2以下、ゼカリヤ3:3以下。515(2)
3:4 原文では「名」とある(民数1:2以下)。515(3)
3:4 マルコ9:3、16:5のように汚れのない天使のような装い。515(4)
3:5 出エジプト32:32以下、詩篇69:28、ダニエル12:1など。515(5)
3:7 サルデスの東南約40キロの商工業都市。515(6)
3:7 イザヤ22:22。イエスはダビデの子である(ローマ1:3など)。515(7)
3:9 黙示2:9。515(8)
3:9 ローマ2:28。515(9)
3:10 ヨハネ17:6、ルカ8:15。515(10)
3:10 マタイ26:41、2ペテロ2:9。515(11)
3:11 黙示2:10。515(12)
3:12 重立ったもの、の意。使徒たちが「柱」と呼ばれる(ガラテア2:9など)。515(13)
3:12 黙示21章に詳しい。515(14)
3:14 コロサイ2:1、4:13以下。フィラデルフィアの東南数10キロ。アンティオコス2世の妃ラオディケにちなむ。515(15)
3:14 真実の意。イザヤ65:16。515(16)
3:14 コロサイ1:15、ヨハネ1:1~3。515(17)
3:15 無関心無頓着の表現。515(18)
3:17 物質的な富への批判である(ホセア12:8)。515(19)
3:18 エゼキエル16:8以下。515(20)
3:19 箴言3:12、ヘブライ12:11。515(21)
3:20 ル力12:36、雅歌5:2以下。515(22)
3:20 ルカ22:30。キリストとともに食しうることは救いのしるしである。515(23)
4:1 ここからふたたび1章のように黙示録らしい不思議な情景になる。2~3章の手紙は広義の前置きといえる。515(24)
4:1 天は固定したものと考えられていた(エゼキエル1:1、マタイ3:16)。515(25)
4:2 黙示1:10。515(26)
4:2 イザヤ6:1、1列王22:19。2節以下は全体としてエゼキエル1:26、10:1以下に似る。515(27)
4:3 神の契約のしるし(創世9:13。エゼキエル1:28)。517(1)
4:4 24は12の倍であり、古代オリエントで神々をあらわす星の数であった。祭司、レビ人の族の数も24であった(1歴代24:5以下、25:1以下)。517(2)
4:8 四方、四季など、いろいろ考えられる。2世紀のエイレナイオスらは四福音書記者とした。517(3)
4:8 イザヤ6:3。517(4)
4:8 黙示1:4、8。517(5)
4:10 多神教的色彩のある天使崇拝を排除する思想のあらわれである(黙示19:10、22:8以下)。517(6)
4:11 ただ神のみが礼拝されるにふさわしい方であるの意。517(7)
5:1 エゼキエル2:9~10に似る。文字や巻物(書籍)は限られた人のものであり、聖なるものとも考えられた。517(8)
5:1 イザヤ29:11以下、ダニエル12:4、9。517(9)
5:2 重要な発言をするにふさわしい高位の天使。ヘブライ語「ガブール」が「強い」の意なのでガブリエルとする説もある。517(10)
5:3 全世界(出エジプト20:4、ピリピ2:10)。517(11)
5:4 黙示録でここだけ。霊的状態で人間感情が描かれるのは、黙示録の現実性を示す。517(12)
5:5 創世49:9。517(13)
5:5 イザヤ11:1、10。ともにメシアを指す。黙示3:7の注参照。517(14)
5:6 柔和にほふられる小羊こそ真のメシアである(イザヤ53章)。救い主を小羊とする箇所は多い(ヨハネ1:29以下、1コリント5:7、1ペテロ1:18以下など)。517(15)
5:6 力のしるし(申命33:17、ダニエル7:24)。517(16)
5:8 砂漠的生活において重要なもので、宗教行事にも用いられた(出エジプト30:1など)。517(17)
5:9 詩篇33:3、イザヤ42:10など。真の新しさは罪のない小羊が罪あるもののためにほふられて救いの道を開くところにある(黙示2:17)。517(18)
5:10 政権と教権の圧迫からの解放である(黙示1:6、1ペテロ2:9など)。517(19)
6:1 小羊が中心である。519(1)
6:1 黙示4:6以下。519(2)
6:2 馬が次々に現われるのはゼカリヤ1:7以下、6:1以下に似る。ここの白い馬をキリスト(黙示19:11以下)と見る説もあるが、つづく3頭がいずれも災をもたらすのでつり合わない。紀元1世紀にパルテアの騎士の侵入があったのを示すという見方もある。いずれにせよ、偽キリストを含む世の終わりの指導者を指す(マタイ24:4以下)。519(3)
6:6 約1リットル。519(4)
6:6 1日の労銀(マタイ20:2)。従ってここは甚しい物価増による貧民の苦しみを示す(2列王6:25)。519(5)
6:8 人間の最大の敵である。死への勝利は聖書の思想の根本である(1コリント15:54以下)。この節にある戦争、飢餓、疫病、野獣は地上の現実を反映する。519(6)
6:9 黙示1:9。519(7)
6:9 殉教者たちのこと。519(8)
6:9 黙示8:3以下。519(9)
6:10 救いを約束されたものにとって、神の国の完成は切実な願いである(詩篇79:5)。しかしその時は神のみ心のうちにあり(マタイ24:36など)、ここでは「なお少しの間」(11節)といわれる。519(10)
6:10 人間的な報復でなく、愛の神による処置である(ローマ12:19)。519(11)
6:11 黙示3:4。519(12)
6:11 黙示1:1の「間もなく」と同じ意味。終わりの時を神にゆだねて感謝のうちに過す時の幅は短い。519(13)
6:11 ローマ11:25。519(14)
6:12 マタイ24:29以下に似る。519(15)
6:16 ホセア10:8、ルカ23:30。519(16)
6:17 裁きの日。小羊がそれに加わっているところに新約の倫理の完成の意味がある(ローマ2:5、1テサロニケ1:10)。519(17)
7:1 エゼキエル37:9。519(18)
7:1 ダニエル7:2、ゼカリヤ6:5など。ここはマタイ24:31の前段階と取れる。519(19)
7:2 エゼキエル9:4など。519(20)
7:2 マラキ4:2。エデンも東(創世2:8)。519(21)
7:3 ここでキリストに救われる印(2コリント1:22、ガラテア6:17、エペソ1:13など)。519(22)
7:4 12,000人の12倍(黙示14:1)。イスラエルの12の族の救いが考えられ(マタイ19:28)、それがキリスト信徒にあてはめられる。当時としては非常に大きな数である。521(1)
7:5 ダビデの属するユダ族が最初に出る。イエスはダビデの子である(黙示5:5)。521(2)
7:9 上の一四万四千人のこと。黙示6:11を受け、7:14で説明される。521(3)
7:9 ヨハネ12:13。521(4)
7:10 黙示12:10、19:1にも出、ヘブライ的な、他動的に「人を救う力そのもの」の意味。521(5)
7:13 黙示4:4。521(6)
7:15 神への奉仕は救いの状況である。521(7)
7:15 出エジプト33:9以下。521(8)
7:16 イザヤ49:10。521(9)
7:17 引かれていってほふられる小羊こそ真に人を牧することができる。僕(しもべ)のキリストが王であるとの逆説である。521(10)
8:1 神の臨在の光景(ゼカリヤ2:13、ハバクク2:20)。521(11)
8:2 世の終わりの描写が進む(1テサロニケ4:16など)。521(12)
8:3 いずれも黙示5:8参照。なお詩篇141:2参照。521(13)
8:4 黙示6:9以下の祈り。「香が届く」とは祈りがきかれることを意味する。521(14)
8:5 エゼキエル10:2。521(15)
8:5 神の顕現を示す(出エジプト19:16)。521(16)
8:7 7~12節のわざわいはイスラエルがエジプトを逃れる時のそれらに似る(出エジプト7~10章)。521(17)
8:8 エレミヤ51:25。なお、ソドムとゴモラの滅亡(創世19:24以下)も、紀元79年にヴェスヴィウスの火山が爆発してポンペイなどが滅んだことも想起される。「海が血に」は出エジプト7:20。521(18)
8:11 香りが強く有毒な液体を出す植物(エレミヤ23:15)。死海の水も生物を受け入れない。521(19)
8:12 マタイ24:29以下。この箇所全体がきびしい砂漠の自然を反映する。523(1)
9:1 古代に星は人格化されており、天使たちが地に落ちる場合と関係がある(黙示12:4)。523(2)
9:1 地下に悪霊が閉じ込められている所(ルカ8:31)。523(3)
9:2 ソドム、ゴモラの滅亡が想起される(創世19:28)。523(4)
9:3 蝗(いなご)の大軍はおそろしい力である(出エジプト10:1以下、ヨエル1:4以下)。523(5)
9:4 黙示7:2以下。523(6)
9:5 春から夏の終わりまでの蝗の生存期間か。523(7)
9:6 死にたくても死ねない苦しみ(ヨブ3:21)。パウロが肉に死してキリストとともにあることを願いつつ友のために生きつづけた(ピリピ1:23など)とはちがう。523(8)
9:7 このあたりヨエル2:2以下に似る。523(9)
9:11 ヘブライ語で「滅亡の所」(ヨブ26:6など)。ギリシア語のアポリュオン(破壊者)はアポロ(死と滅びの神)を想起させる。523(10)
9:13 黙示7:1参照。523(11)
9:14 東方からパルテア人、メデア人の襲来があった。523(12)
9:16 無限の数で、多くの民族の襲来を意味する(黙示20:7以下)。523(13)
9:17 黙示14:10。523(14)
9:17 怪物の吐き出すもの(ヨブ41:19以下)。523(15)
9:20 偶像批判は聖書の至る所にある(詩篇115:4以下、イザヤ44:9以下など)。523(16)
9:21 偶像崇拝は不義につながる。523(17)
10:1 黙示5:2。523(18)
10:1 黙示4:3。523(19)
10:1 黙示1:16。523(20)
10:1 出エジプト13:21。これらの形容は天使を通じての神の顕現の形容である。523(21)
10:2 小さいが開かれていることが黙示の近さをあらわす。523(22)
10:3 ホセア11:10、アモス3:8。523(23)
10:4 ダニエル12:9。523(24)
10:4 黙示1:11の「書きしるせ」の反対である。文字化されて伝達されるところに聖書の黙示文書の平易さ、普及性があるが、神の啓示には人間のことばで発表しえないもの、してはならないものがある(2コリント12:4)。523(25)
10:7 人間のことばをこえる神意(ローマ11:25、1コリント15:51)。525(1)
10:9 エゼキエル3:1以下には「腹ににがい」がない。イエスの福音は甘いが、それによって救われるものは彼と苦難を共にするという新しい体験をする。これが旧約にはない新約の深さであり、この深さが黙示録の苦難観に反映している。525(2)
11:1 エゼキエル40:3以下に似る。しかしここには宮だけでなく、「礼拝するもの」すなわち信徒の守護のことがいわれる。525(3)
11:2 紀元後70年にエルサレムがローマ軍に攻落され、ユダヤの熱心党が聖所に立てこもった。525(4)
11:2 次節の「1,260日」とともにダニエル7:25、12:7の期間、すなわちシリア王アンティオコス・エピファネスの下にユダヤが苦しんだ3年半を反映する。525(5)
11:3 ヨハネ8:17。525(6)
11:3 悲しみのしるし(マタイ11:21)。525(7)
11:4 この辺りゼカリヤ4:3以下に似る。525(8)
11:5 2サムエル22:9。525(9)
11:6 1列王17:1。525(10)
11:6 モーセのように(出エジプト7:17以下)。525(11)
11:7 終末にはしばしば獣が現われる(ダニエル7:3以下など)。獣との戦いはダニエル7:21以下ではアンティオコス・エピファネスを指すが、ヨハネはそれを類推する。525(12)
11:8 エルサレムのこと。525(13)
11:8 黙示的に、あるいは預言として見て、の意。525(14)
11:8 創世19:24、イザヤ1:9以下。525(15)
11:8 エゼキエル23:27。525(16)
11:9 3節の3年半(1,260日)に対応するという説がある。525(17)
11:11 復活の描写である。525(18)
11:12 昇天はエリヤ(2列王2:11)とイエス(使徒1:9)に似る。525(19)
11:13 当時のエルサレムの人口と考えるなど諸説がある。525(20)
11:15 黙示10:7の奥義が成就する。525(21)
11:16 黙示4:4。525(22)
11:19 民数10:33以下、申命10:8、ヘブライ9:4。527(1)
11:19 出エジプト9:24。527(2)
12:1 マタイ24:30。この語は黙示録ではここにはじめて出る。527(3)
12:1 詩篇104:2。神からつかわされたものとしてシオン(イザヤ66:7以下、ミカ4:10)、あるいはイエスの母マリヤが考えられる。527(4)
12:3 竜は神の敵(詩篇74:12、イザヤ51:9など)。527(5)
12:4 ダニエル8:10。527(6)
12:5 黙示2:27。527(7)
12:6 黙示11:3。527(8)
12:7 天使の長(ダニエル10:13)。527(9)
12:9 悪魔の敗北である(ルカ10:18)。527(10)
12:11 黙示7:14。527(11)
12:14 出エジプト19:4、申命32:11。527(12)
12:14 苦しみの期間(11:2以下など)。527(13)
12:17 信徒のこと(1:9、6:9など)。527(14)
12:18 地中海。そのかなたにローマが意識されている。527(15)
13:1 ダニエル7:3以下に似る。獣のことは黙示17章にふたたび出る。527(16)
13:1 ローマ帝国の権威を示すもの。527(17)
13:2 ローマ帝国を象徴する。527(18)
13:3 ローマもパルテア人その他によって打撃を受けている。復活の皇帝ネロの伝説もある。キリス卜の死と復活に似た形のことが異教国にもおこることを示す。527(19)
13:4 皇帝崇拝を示す。527(20)
13:5 3年半(黙示11:2)。527(21)
13:6 黙示7:15。527(22)
13:6 天使たち。527(23)
13:7 信徒たち(ローマ1:7)。527(24)
13:8 1ペテロ1:20。529(1)
13:8 黙示3:5。529(2)
13:11 小アジア。529(3)
13:11 外と内とがちがう偽預言者(マタイ7:15)を想起させる。529(4)
13:13 偽預言者は奇跡を行なう(マタイ24:24など)。529(5)
13:14 大衆はご利益による誘惑に負けやすい。529(6)
13:15 偶像は口がきけない(1コリント12:2)。それを強いて語ると信じさせる迷信が異教にあった。529(7)
13:15 ネブカドネザル王は自らの像を拝むよう命令させた(ダニエル3:1以下)。529(8)
13:16 皇帝崇拝参加者の印である。529(9)
13:18 皇帝ネロをヘブライ文字で書くとその数値の合計が666になるという説明が有力である。529(10)
14:1 世の終わりに救いのはじまるエルサレムの山(ヨエル2章など)。529(11)
14:1 黙示7:4。529(12)
14:2 黙示1:15。529(13)
14:2 黙示4:5。529(14)
14:3 黙示5:9。529(15)
14:4 初期の信徒には独身がよいという方向(1コリント7:1、8、26)と、悪を避けるため結婚してもよいという方向(同7:2、28)とがあり、独身者だけが救われるとは考えられなかった。ここも信徒がキリストへの貞節を守る花よめとたとえられた意味(2コリント11:2)に取ると無難である。神への貞節についてはエレミヤ2:2以下、ホセア2:14以下参照。529(16)
14:4 ローマ8:23と共通する。529(17)
14:6 万人へキリストの福音が説かれる状景(マタイ24:14)。529(18)
14:8 神にそむいて裁かれる大都市(エレミヤ51:7以下など)。新約ではローマを指す(1ペテロ5:13。)529(19)
14:9 皇帝崇拝者。529(20)
14:11 「休み」すなわち「救い」ということ(13節)の反対である。529(21)
14:13 全体として黙示録は祝福の手紙である(19:9、21:5)。529(22)
14:13 創造主とともにいこうものは創造のわざへと招かれている。529(23)
14:14 マタイ26:64。531(1)
14:14 ヨエル3:13、マルコ4:29。531(2)
14:20 イザヤ63:3、ヨエル3:13。531(3)
14:20 スタデオは約200メートル。1,600は4(四方すなわち世界)倍の数。531(4)
15:2 天の形容(黙示4:6、エゼキエル1:22)。火はいなずまの光か。531(5)
15:3 出エジプト15:2以下。これが小羊すなわちキリストの勝利の讃歌となる(ヨハネ5:46)。531(6)
15:5 黙示7:15、13:6。531(7)
15:5 黙示11:19。531(8)
15:8 神の栄光のしるし(出エジプト40:34以下)。531(9)
16:1 この章の七つの鉢の幻は8~11章の七つのラッパの幻に似る。ともにエジプトの災(出エジプト7~10章)を土台にしている。531(10)
16:5 風を押さえる天使(黙示7:1)、火をつかさどる天使(同14:18)のように自然現象を支配する神の使い。531(11)
16:7 祭壇の下に殉教者の魂がある(黙示6:9以下)。531(12)
16:10 ローマ皇帝の座(黙示13:1以下)。531(13)
16:12 エレミヤ51:36。531(14)
16:12 パルテア人がローマを圧迫したこと(黙示6:14以下)。531(15)
16:13 蛙は悪い獣と考えられた(出エジプト8:2以下)。531(16)
16:15 1テサロニケ5:4。531(17)
16:16 「メギドの山」の意で、メギドは古来しばしば戦場になった(2列王23:29、ゼカリヤ12:11)。533(1)
16:19 ローマのこと(黙示14:8)。533(2)
16:20 黙示6:14。533(3)
17:1 神にそむいて堕落した町は淫婦と呼ばれる(イザヤ1:21など)。ここではバビロン(黙示14:8)、さらにローマである。533(4)
17:3 裁きが荒野から来る(イザヤ21:2以下)。533(5)
17:3 黙示12:3、13:1以下。533(6)
17:4 豪奢な装いと不義とは結びつく。533(7)
17:8 神がつねにいまし(黙示1:4)、いのちの書に記された信徒(同3:5など)が永遠に生きるのに対し、神の敵である獣は現われたり消えたりする。533(8)
17:9 ローマの七つの丘。533(9)
17:11 皇帝ネロをめぐっての種々な描写である。当時はネロの再来も信ぜられていた(黙示13:3)。533(10)
17:12 パルテア人の王たちのこと(黙示16:12以下)などを暗示する。533(11)
18:1 天使は神の栄光(エゼキエル43:2)に準ずる栄光を持つ(黙示10:1)。533(12)
18:2 イザヤ21:9。黙示14:8の注参照。533(13)
18:3 悪い商人は不義と協力する。533(14)
18:4 イザヤ48:20、マルコ13:14など。この辺りでもバビロンがローマの型として用いられている。533(15)
18:8 ローマの火災が暗示される。535(1)
18:11 この辺り、旧約(エゼキエル26~27章など)に描かれるパビロン、ツロ、エルサレム等の大都会の運命と似たことがいわれ、全体としてローマの運命が示される。535(2)
18:13 人身売買についてはエゼキエル27:13参照。535(3)
18:20 黙示6:10の信徒の祈りがきかれることを示す。535(4)
18:21 エレミヤ51:63以下。この辺り表現は旧約的であるが、今まで救われないとされたものが救われ、その救いを妨げるものが取り除かれるところが新約的である。535(5)
19:1 ヘブライ語で「ヤハウェ(神)をたたえよ」の意。535(6)
19:3 黙示14:11。535(7)
19:7 信徒の集団はキリストの花よめ(2コリント11:2、エペソ5:23以下)。神と人とのキリストによる婚姻の預言の実現である(エレミヤ31:32など)。535(8)
19:8 宝石などで飾られたこの世的な女性(黙示17:4)と対蹠的である。535(9)
19:9 黙示14:13。535(10)
19:10 天使崇拝をやめて唯一至高の神を礼拝せよ、の意(黙示22:8)。535(11)
19:10 1ペテロ1:10以下。535(12)
19:11 再臨のキリストのこと(イザヤ11:1~5)。537(1)
19:12 黙示2:17。救い主の新しさの強調である。537(2)
19:13 イザヤ63:1以下。537(3)
19:13 黙示録がヨハネ的であることを示している(ヨハネ1:1以下、1ヨハネ1:1)。537(4)
19:16 黙示1:5、17:14。537(5)
19:18 エゼキエル39:4以下、17以下。537(6)
19:20 黙示17:12以下。537(7)
19:20 黙示14:10。537(8)
20:1 黙示9:1。537(9)
20:2 黙示12:9。537(10)
20:2 いわゆる千年期あるいは千年王国、すなわち世の終わりにおける中間的、過渡的なメシア王国の思想である。ユダヤ教の黙示文書では千年という長さ、あるいは王国の輝きなどについて種々な思弁がなされているが、ヨハネ黙示録は冷静である。新約全体にキリストの来臨による新しい神の国の受容(2コリント5:17)と救いの完成への希望(ローマ8:23以下)とが入り交じっている。537(11)
20:4 救われるものの状態がダニエル7:27のように描かれる。537(12)
20:5 1コリント15:23以下。537(13)
20:6 復活の可能性のない死。537(14)
20:6 黙示5:10。537(15)
20:8 エゼキエル38:2以下。537(16)
20:9 エルサレム(詩篇87:2、78:68など)。537(17)
20:12 黙示3:5。537(18)
20:13 ローマ2:6、14:10、2コリント5:10など。神にそむくものの不幸な現実がこのことを説明する。537(19)
20:14 1コリント15:26、54以下。537(20)
21:1 イザヤ65:17、66:22。539(1)
21:1 黙示20:11、1コリント7:31。539(2)
21:1 悪い獣の住家である。539(3)
21:2 イザヤ52:1。539(4)
21:2 新しいエルサレムはキリストの花よめ(黙示19:7)である信徒の集まりである。539(5)
21:3 天の幕屋(黙示13:6)が地にくだる。信徒が立派になって昇天するのでなく、神の側から地上にくだって、神の国が完成する。539(6)
21:4 黙示7:17。539(7)
21:4 黙示20:14。539(8)
21:5 新しい創造である(2コリント5:17、ガラテア6:15)。539(9)
21:6 黙示1:8。539(10)
21:7 黙示2:7。539(11)
21:8 黙示20:6。539(12)
21:10 黙示1:10。539(13)
21:10 エゼキエル40:2に似る。539(14)
21:12 マタイ19:28。539(15)
21:13 エゼキエル48:31以下。539(16)
21:15 エゼキエル40:3以下。539(17)
21:16 黙示14:20。539(18)
21:17 1ペキュスは、約50センチ。539(19)
21:17 天使も人間もともに神の僕(しもべ)である(黙示19:10など)。539(20)
21:18 1コリント3:10以下参照。この節の宝石その他は出エジプ卜28:17以下、39:10以下、エゼキエル28:13以下など。539(21)
21:22 完成された神の国ではいわゆる宗教が必要なく、至るところ霊と真で神を拝しうる(ヨハネ4:24)。539(22)
21:23 イザヤ60:1以下。539(23)
21:27 黙示3:5。539(24)
22:1 創世2:10以下、エゼキエル47:1以下、ヨエル3:18、ゼカリヤ14:8など。神の国はいのちのため必要な水の豊かな所という思想である。総じて聖書は水を重んずる(ヨハネ3:5以下など)。541(1)
22:2 黙示2:7。541(2)
22:3 黙示21:4、ゼカリヤ14:11の預言の実現である。541(3)
22:4 黙示14:1。541(4)
22:5 黙示21:25。541(5)
22:5 黙示5:10。541(6)
22:7 黙示2:16など。541(7)
22:8 黙示19:10。541(8)
22:10 黙示1:3。541(9)
22:16 黙示3:7、5:5。541(10)
22:16 黙示2:28。541(11)
22:17 黙示22:1。541(12)
22:20 1コリント16:22。541(13)