1:1 ルカ1:3の注参照。229(1)
1:1 ルカ福音書のこと。229(2)
1:2 ヨハネ20:22など。229(3)
1:2 ルカ24:51のイエスの昇天のこと。229(4)
1:3 復活は疑いうる性質のものである(ルカ24:38など)がゆえに、種々な形で説得がなされたのである。229(5)
1:3 荒野の試み(ルカ4:2)のようにモーセ(出エジプト34:28)、エリヤ(1列王19:8)の故事にちなむ数。
ルカ24:51によるとイエスの昇天は復活後間もないが、ここで四十日後であるのは、福音書では時間の経過に関係なく昇天のことがいわれ、ここでは弟子たちの昇天までの体験が四十日という期間をもって描かれたと説明できる。昇天の場所はベタニア(ルカ24:50)とオリブ山(使徒1:12)で矛盾しない。229(6)
1:5 ルカ3:16。229(7)
1:6 神の国の完成のこと(ルカ19:11など)。229(8)
1:7 マルコ13:32、1テサロニケ5:1。神の国の完成が迫ったことを意識しつつ、その時について人間的思弁をせず神にゆだねたところにイエスの終末観の特徴がある。229(9)
1:8 この預言は使徒2:1以下で実現する。231(1)
1:10 天使であり(ルカ24:4)、雲(ルカ9:34)とともに昇天が弟子たちの信仰的体験であることを示す。231(2)
1:11 しばしばイエスの弟子たちを指す。使徒2:7など。231(3)
1:11 ルカ22:69、黙示1:7のように神の子の来臨を示す。231(4)
1:12 約900メートル。出エジプト16:29、民数35:5による。231(5)
1:13 ルカ6:14以下に似た形で、イエスの身内とお伴の人たちとがいっしょになっている。231(6)
1:16 旧約にも聖霊のはたらきがあるとする思想である。2テモテ3:16。231(7)
1:18 ユダのことはマタイ27:3以下に詳しい。231(8)
1:20 詩篇69:25と109:8。231(9)
1:22 この期間はルカ3:21にはじまり昇天(同24:51)に至るイエスのことである。231(10)
1:26 くじは神意をうかがう古代の風習である。ルカ1:9。231(11)
1:26 12はキリストの権威を示す数をあらわす。ルカ22:30、1コリント15:5など。231(12)
2:1 過越の祭りから五十日目で、元来収穫の祭り(レビ23:15以下)であったが、ユダヤ教ではシナイでの律法賦与を記念する日であった。231(13)
2:2 風、ひびき、炎、舌、ことばはみな聖霊のはたらきに関係する。この光景は感激的な出来事の描写である。231(14)
2:4 恍惚境で語られる異言か、外国語か、ギリシア語かと解釈される。ルカが奇跡として外国語を考えたとしても、史実ではありえない。パウロが批判したコリントの異言(1コリント14章)と同じ現象にしては、皆が理解した(使徒2:6)ことが不自然である。後に注記するように使徒たちがギリシア語を話したとするのが史実に近い。231(15)
2:5 祭りの季節に各地からエルサレムに来た巡礼者である。231(16)
2:9 これらの地名はいずれもヘレニズム時代のコイネー(共通)ギリシア語の世界に属する。231(17)
2:11 異邦人でユダヤ教に帰依した人々。233(1)
2:13 聖霊に満たされて福音を説いたのが各地の人々に理解された点が重要である。しかし福音にはあざけりもあった(使徒17:32)。233(2)
2:17 ヨエル2:28~32。233(3)
2:18 聖霊の降臨は真の預言へと導く。233(4)
2:23 異邦人のこと。233(5)
2:24 詩篇116:3。233(6)
2:28 詩篇16:8~11。233(7)
2:30 詩篇132:11。2サムエル7:12。233(8)
2:31 詩篇16:10。233(9)
2:39 異邦人のこと。イザヤ57:19。233(10)
2:41 イエスに食を与えられた五千人、四千人の物語があり(マタイ14、15章)、四千人を連れて反乱をおこしたものもある(使徒21:38)。それゆえ数千人の動きは誇張ではない。233(11)
2:42 共同の食事がなされたことを示す。233(12)
2:43 聖霊を受けた使徒たちに力あるわざができたのである。235(1)
2:44 使徒4:32にもある初期キリスト教徒の共産である。律法的、形式的な共産でなく、私有財産の否定でもなく(使徒5:4)、救いのよろこびにあふれ、神への感謝をもって互いに助けたのである。235(2)
2:46 ルカ24:53、使徒3:1、5:12、20、42。235(3)
3:1 使徒1:13の最初のふたり。235(4)
3:1 原文は第九時。当時、日に三度祈りの時があった(ダニエル6:10)。初期キリスト信徒も九時(使徒2:15)、正午、三時を祈りの時にした。235(5)
3:2 宮の東にある門のひとつで、コリント風の飾りがあったのでこう呼ばれたと伝えられる。235(6)
3:6 名を呼ぶことはその力に頼ることであった。使徒3:16、16:18など。235(7)
3:11 宮の東側の回廊。235(8)
3:13 出エジプト3:6、イザヤ52:13。235(9)
3:18 イザヤ53:2以下。235(10)
3:20 「いこいの時」と「万物の革新の時」とは共に神の国の完成の時(使徒1:6)。235(11)
3:22 申命18:15、19。235(12)
3:23 レビ23:29。235(13)
3:25 創世22:18。235(14)
3:26 子とも訳せる。4:27、30も同じ。235(15)
4:1 サドカイ人は復活を否定する(使徒23:8)。パリサイ人は復活そのものは肯定するがイエスの復活を、否定する。パリサイ人がここに出ないのは、著者ルカがパリサイ人に同情的だからである。ルカは元来パリサイ人であったパウロの友人であり(コロサイ4:14)、律法重視のパリサイ人とイエスとがはじめ親しかったこともいう(ルカ7:36など)。237(1)
4:4 三千人(使徒2:41)からの増加として不自然な数ではない。237(2)
4:11 詩篇118:22。この箇所はイエスについてしばしば用いられている(ルカ20:17、1ペテロ2:7)。237(3)
4:12 ここにキリスト教的な唯一神信仰の根本がある。237(4)
4:13 ペテロもヨハネもエルサレムの指導者から見れば辺境ガリラヤの田舎者である。イエスもエルサレムの人々に無学といわれたことが想起される(ヨハネ7:15)。237(5)
4:14 ルカ21:15。真の信仰は学識に頼るものに打ち勝つ。237(6)
4:19 神に従うべきか、人に従うべきか(使徒5:29)がイエス中心に考えられている。237(7)
4:21 権力者はつねに民を恐れる。ルカ22:2など。237(8)
4:24 詩篇146:6、2列王19:15など。237(9)
4:25 詩篇2:1以下。237(10)
4:27 福音書でピラトもヘロデもイエスに敵意を示さないが(ルカ23:14以下)、ここでは詩篇2:2以下などからの回顧的見方がなされている。237(11)
4:31 心が動かされる際に地震が感ぜられることはたびたびいわれる。出エジプト19:18、マタイ27:51など。237(12)
4:32 使徒2:43以下。貧者のなくなることは救いのしるしのひとつである(申命15:4など)。239(1)
4:36 バルナバは後に重要な役割を演ずる人物である(13~14章)。キュプロスにも古くからユダヤ人が住んでいた。239(2)
5:2 ヨシュア7:1。239(3)
5:3 聖霊が人格化されている。9節、32節。239(4)
5:11 ここで使徒記にはじめて「エクレシア」の語が出る。239(5)
5:12 使徒2:43。239(6)
5:12 使徒3:11。239(7)
5:15 ルカ1:35、9:34のような力のはたらきを示す。239(8)
5:19 牢からの解放は使徒12:4以下と16:26以下にもある。239(9)
5:29 使徒4:19。241(1)
5:30 申命21:22。241(2)
5:34 有名なヒレルの子孫でパウロの師。使徒22:3。241(3)
5:36 自称預言者でヨシュアのように人々を率いてヨルダン川を渡ろうとした。241(4)
5:37 ルカ福音書のそれの後に行なわれたもの。チゥダもユダも史家ヨセフスに言及されている。241(5)
6:1 散在のユダヤ人から改宗したギリシアふうの新人で、ヘレニストのステパノの演説(7章)に見られるように、宮や律法に批判的であった。241(6)
6:1 ヘブライの伝統を重んずる人々。ピリピ3:5。241(7)
6:1 使徒2:43以下のように初期の信徒にとって共同の食事と貧者の助けが重要であった。ここで寡婦のことがいわれるのはそのためである。241(8)
6:6 任命にあたって手を置くことは古くから行なわれた。民数8:10。241(9)
6:7 祭司の入信は初期の信仰がユダヤ教に反抗せずに宮に集まったからである。使徒2:46、3:1、5:12。241(10)
6:9 紀元前63年にポンペイウスに捕えられて後、解放された人々を指す。241(11)
6:9 アフリカのクレナイカの首都。241(12)
6:11 イエスが訴えられた場合(マルコ14:55以下)と似る。241(13)
7:2 ヘレニストのステパノが旧約の歴史をたどり、神殿の偶像化を批判し、復活のイエスへの信仰を告白する。歴史にさかのぼる形としては詩篇78や105に似る点がある。七十人訳(ギリシア語訳)聖書を反映する所が多く、フィロンやヨセフスに見られる伝承も用いられている。ヘブライ語原典からの邦訳旧約聖書と多少異なるのはそのためである。243(1)
7:2 議会の人々を指す。243(2)
7:3 創世12:1以下。243(3)
7:5 創世13:15。243(4)
7:7 創世15:13~14。243(5)
7:8 創世17:10、21:4。243(6)
7:9 創世37:11、28、39:21、41:38以下。243(7)
7:11 創世41:54、42:2以下。243(8)
7:14 創世45:1以下、46:27。243(9)
7:15 創世46:1、49:33。243(10)
7:16 創世50:13。243(11)
7:17 出エジプト1:7~10。243(12)
7:28 出エジプト2:2~14。243(13)
7:29 出エジプト2:15~22、18:3。243(14)
7:30 出エジプト3:2~8。243(15)
7:35 ここで天使が前面に出るのは、新約時代のユダヤ教で天使が尊重されたことを反映する。使徒7:38、53参照。245(1)
7:36 申命29:2以下。245(2)
7:37 申命18:15。245(3)
7:38 申命9:10以下。245(4)
7:41 出エジプト32:1~6。245(5)
7:42 エレミヤ7:18、アモス5:25以下。245(6)
7:44 出エジプト26:30。245(7)
7:45 ヨシュア3:14。245(8)
7:46 2サムエル7:2以下。245(9)
7:47 1列王6:1。245(10)
7:48 使徒17:24にも出る。245(11)
7:50 イザヤ66:1~2。245(12)
7:51 出エジプト32:9、イザヤ63:10。245(13)
7:52 マタイ23:31、35。245(14)
7:56 ステパノは迫害のなかで栄光の主を見る。マタイ26:64。245(15)
7:58 レビ24:14。245(16)
7:60 イエスの最後に似る。ルカ23:34、46。245(17)
8:1 迫害を受けたのはステパノのようなヘレニストらで、使徒たちは宮に忠実であったので最初は迫害されなかったとみられる。247(1)
8:5 ヘレニストの重要な指導者で(使徒6:5)、伝道者と呼ばれる(同21:8)。247(2)
8:6 サマリア伝道はイエスによってはじまっている。ヨハネ4:40。247(3)
8:9 彼についてグノーシスの諸文書に使徒たちに対抗した有力者であったことその他多くの伝説が書かれている。魔術師は学者・賢人(マタイ2:1)とも訳せる。しかしシモンの名は当時多く用いられたから、すべてのシモンがこのシモンと同一とはいえない。247(4)
8:18 中世のシモニア(聖物売買)はこれに由来する。247(5)
8:21 申命12:12。247(6)
8:23 申命29:18、イザヤ58:6。247(7)
8:32 イザヤ53:7以下。247(8)
8:39 移界の思想のあらわれである。2コリント12:4など。249(1)
8:40 ガザの北にあるアシドドのギリシア名。ピリポの伝道の拠点である(使徒21:8以下)。249(2)
9:2 ダマスコは古来大都会で、そこにはユダヤ人も多かった。当時はキリスト信徒も会堂(シナゴグ)に属していたので、パウロはこのように振舞ったのである。249(3)
9:3 パウロの入信のことは22章と26章でも記される。光は神の顕現を示す。249(4)
9:4 信徒を迫害したのはイエスを迫害したことになる。ルカ10:16など。パウロに現われた復活のイエスは、迫害の血が流れ、十字架につけられた姿である(ガラテア3:1)。249(5)
9:10 ダマスコ在住の令名あるユダヤ人キリスト信徒。使徒22:12。249(6)
9:13 信徒は悪の世から救われてついには聖くされるがゆえに、かく呼ばれる。1コリント1:2など。なお詩篇145:10、申命33:3など参照。249(7)
9:18 体を洗われた、とも訳せる。249(8)
9:24 2コリント11:32以下。251(1)
9:27 使徒4:36の注参照。251(2)
9:28 ガラテア1:18以下。251(3)
9:29 使徒6:1以下。パウロがヘレニストのステパノを殺すことに賛成したこと(8:1)とも、この論争は関係しよう。251(4)
9:30 小アジアの東南にあってギリシア文化の栄えた町。パウロの故郷。251(5)
9:32 ヘブライ語ではロド。ヨッパからエルサレムへ向かって10数キロで、こんにちでは空港がある。251(6)
9:35 ヘブライ語でシャロン。草木の美しい平野。イザヤ35:2、雅歌2:1。251(7)
9:36 カルメルとガザとの間にある港町。こんにちのヤッファ。ギリシア神話でペルセウスがここでアンドロメダを救ったと伝えられる。251(8)
9:43 とくに皮なめし職人といわれるのは、すぐ現われるシモン・ペテロ(10:5以下)と区別することと、獣の皮を忌むユダヤのいい伝えにとらわれないことの意味がある。251(9)
10:1 重要な港町でローマ軍の基地。名はカイサル(ローマ皇帝)にちなむ。251(10)
10:1 マタイ8:5の注参照。251(11)
10:2 異邦人でイスラエルの神を信ずる人々。251(12)
10:14 レビ11章にも汚れた獣のことがある。エゼキエル4:14。253(1)
10:28 ここで食物の差別もユダヤ人、異邦人の差別もなくなるという幻の意味が明らかになる。253(2)
10:34 申命10:17、1サムエル16:7。253(3)
10:38 ルカ3:21以下。253(4)
10:39 使徒5:30。253(5)
10:41 まずイエスに選ばれた弟子たちに復活信仰が与えられ、イエスの来臨と死の意味が彼らを通じて広く伝達された。253(6)
10:43 使徒3:18。253(7)
10:44 聖霊が広く異邦人にも下り、異邦人のペンテコステといわれる光景である。255(1)
10:45 ユダヤ人でキリストを信じたもの。255(2)
10:46 恍惚境での発言で、使徒19:6にも似た場合がある。255(3)
10:48 ペテロ自らでなく、たぶん若い人に洗礼を命じた。洗礼は全身の水浴であった。1コリント1:14、17参照。255(4)
11:3 初期の信徒にとって、洗礼よりも共同の食事が信仰生活に切実な意味をもっていた(使徒2:46など)。したがってユダヤ教からいまだ分離しなかった段階において、汚れた異邦人との食事が問題であった。255(5)
11:16 ルカ3:16、使徒1:5。255(6)
11:18 異邦人の救いがエルサレムで公に認められたことを示す。255(7)
11:19 ツロとシドンを含む海岸地方を指す。使徒15:3、21:2。255(8)
11:19 オロンテス川に沿うシリアの町で、ローマとアレクサンドリアとともに当時の帝国の三大都市の一つ。数万のユダヤ人が住んでいた。255(9)
11:25 使徒9:30参照。255(10)
11:26 キリストに属するもの、の意。255(11)
11:27 使徒2:18のようにキリスト信徒は預言する霊を与えられているが、その中でとくに預言に適した人々があって、使徒と並べられる場合もあった。1コリント12:28。255(12)
11:28 使徒21:10。255(13)
11:28 ローマ皇帝(在位41~54)。紀元46~48年にパレスチナに大飢饉があった。255(14)
11:29 シリアのほうがユダヤよりは経済的に優位にある。257(1)
11:30 エルサレムの集まりの指導者。使徒15:2以下。257(2)
12:1 ヘロデ・アグリッパ一世(在位40~44)で、ヘロデ大王の孫。257(3)
12:3 民とキリスト信徒との間の溝が深くなったことを示す。257(4)
12:3 過越の祭りにつづくが、ルカ(22:1)は両者を同じにする。257(5)
12:4 祭りのあとにするのは騒ぎを避けるためである。マルコ14:2。257(6)
12:12 ヨハネ・マルコはバルナバの親戚である。コロサイ4:10。257(7)
12:15 守り天使のこと。マタイ18:10。257(8)
12:17 主の兄弟ヤコブ。ガラテア1:19。257(9)
12:17 まずアンテオケが考えられるが(ガラテア2:11)ペテロは各地を旅して伝道した(1コリント9:5)から、ルカは包括的に表現したのであろう。257(10)
12:20 経済上の争いであろう。古来海岸地方はユダヤから食料を輸入していた。エゼキエル27:17。257(11)
12:23 ヘロデの死については史家ヨセフスの記事がある(古代史19:8)。257(12)
13:1 1コリント12:28。257(13)
13:1 黒い人の意。257(14)
13:1 主な人物は12章まではペテロであったのが、13章からはパウロになる。259(1)
13:4 アンテオケの港。259(2)
13:4 バルナバはキュプロスの出身である。使徒4:36。259(3)
13:5 キュプロス東岸の港町。259(4)
13:5 パウロらはまずユダヤ教の会堂に入って預言を説くのがつねであった。259(5)
13:6 キュプロス西南の港町で政治の一中心。259(6)
13:9 サウロはヘブライ系、パウロはラテン系の名。ここから後者が用いられるのは、場面が深く異邦に移ることを反映する。259(7)
13:13 パンフリヤ地方の都会でアルテミスの神殿がある。259(8)
13:13 ヨハネは異邦に深入りしたくなかったのであろう。問題は使徒15:38でふたたびおこる。259(9)
13:16 使徒10:2。259(10)
13:17 以下は旧約の歴史にさかのぼる福音の説明で、七十人訳を反映する。259(11)
13:17 申命5:15。259(12)
13:18 申命1:31。259(13)
13:19 申命7:1。259(14)
13:20 士師2:16。259(15)
13:21 1サムエル8:5以下。259(16)
13:22 1サムエル13:14、詩篇89:20以下。259(17)
13:23 2サムエル7:12、イザヤ9:6。259(18)
13:25 ルカ3:16。259(19)
13:27 使徒3:17以下。259(20)
13:33 聖書が篇や章に分けられたのは後代である。「第2篇」の語を欠くパピルスのテクストがあるが、この方が原形であろう。現在の詩篇2:7を指すことは事実である。261(1)
13:34 イザヤ55:3。261(2)
13:35 詩篇16:10。261(3)
13:36 1列王2:10。261(4)
13:39 パウロの福音を思わせる箇所である。261(5)
13:41 ハバクク1:5。261(6)
13:47 イザヤ49:6。261(7)
13:51 ルカ9:5、10:11。261(8)
13:51 小アジア中部の大都会で、セバステ街道に沿う交通の重要地点。261(9)
14:1 「いっしょに」とも訳せる。261(10)
14:6 小アジア中南部の牧畜のさかんな高地。261(11)
14:9 ルカ5:20、使徒3:16。261(12)
14:11 当時小アジアにはギリシア語が拡まっていたが、土地の言葉と並用されていた。261(13)
14:12 バルナバが黙っていたので神々の父ゼウスのような権威を認められたのであろう。ヘルメスは伝達の神である。261(14)
14:14 驚きと怒りの表現。マルコ14:63。263(1)
14:15 詩篇146:6によるが、相手は異邦人なのでイスラエルの歴史に触れない。これはアテナイの場合(使徒17:22以下)と似る。263(2)
14:17 詩篇147:8、エレミヤ5:24。263(3)
14:17 詩篇145:15。263(4)
14:22 ルカ14:27など。263(5)
14:23 使徒が各地の集まりで役目を割り当てる模様が描かれる。長老については使徒11:30、20:17。263(6)
14:26 宣教の拠点としてエルサレムでなくてアンテオケのことがいわれる。263(7)
14:27 異邦人の救いが強調されて次の章の使徒会議への伏線をなしている。263(8)
15:1 ガラテア2:12。263(9)
15:3 フェ二キアのことは使徒11:19に、サマリアのことは同8:5以下にある。263(10)
15:7 コルネリオの回心のこと。使徒10:28以下。263(11)
15:8 使徒1:24。263(12)
15:9 異邦人は食物その他によって汚れているという思想による。使徒10:15、11:9参照。263(13)
15:10 ルカ4:12。263(14)
15:13 主の兄弟ヤコブでエルサレムの集まりで指導的役制を演じている。律法については保守的である。265(1)
15:16 アモス9:11以下、エレミヤ12:15。265(2)
15:18 イザヤ45:21。265(3)
15:20 この3項目はレビ17:7以下と18:6以下の精神による。パウロ自身、偶像への供え物に対して批判的である。1コリント8章。265(4)
15:21 各地にイスラエルの伝統が拡まっているから、それを重んじよう、の意。265(5)
15:24 使徒15:1にあるユダヤ人中心主義者。265(6)
15:38 使徒13:13。265(7)
15:39 この分裂は一時的であって、パウロの手紙ではバルナバも(1コリント9:6)マルコも(コロサイ4:10、ピレモン24、2テモテ4:11)友好的に書かれている。265(8)
16:1 パウロの良い協力者で(1コリント4:17、ピリピ2:20以下)、各地に同行した。265(9)
16:3 ガラテア2:3以下の場合とは違って、パウロはここで柔軟な方法を取っている。267(1)
16:4 使徒11:30や15:23以下のように、パウロはエルサレムの人々の意向を伝える。267(2)
16:6 広くローマ帝国のアジア州を指すのでなく、エペソを中心とする地方。そこにはすでに福音が伝わっていたので、パウロはひとまず避けたのであろう。267(3)
16:6 ともに小アジア中部の地方。267(4)
16:7 エーゲ海に至る小アジアの西部地方。267(5)
16:7 小アジアの北部地方。267(6)
16:8 ムシアの港町。ローマの植民地であり、昔のトロイアの遺跡からも遠くない。267(7)
16:9 ギリシアの東北にある地方。267(8)
16:10 いわゆる「われらの章句」がはじまる。16:10~17、20:5~15、21:1~18、27:1~28:16にあるが、とくに解釈上、別扱いする必要はない。267(9)
16:11 エーゲ海の島。267(10)
16:11 新しい町の意味。ピリピの港。267(11)
16:12 マケドニア東部の裕福な町で、紀元前42年にアントニウスがローマの植民地にした。267(12)
16:13 会堂でないのが特徴的である。267(13)
16:14 小アジアのルデアの町、黙示2:18。267(14)
16:16 Python の霊。元来デルフィの神託に関係する。267(15)
16:17 ルカ8:28の悪霊につかれた人に似る。267(16)
16:19 アゴラ(使徒17:17)。町の中心で市場の立つところ。267(17)
16:20 ローマの植民地の高官。267(18)
16:20 反ユダヤ人的な町の雰囲気を反映する。267(19)
16:31 家族の入信については使徒10:2参照。267(20)
16:37 パウロは後にもローマの市民権を活用する。使徒22:25以下、23:27。269(1)
17:1 マケドニアの重要な町。269(2)
17:1 アムピポリスの西、約45キロの町。269(3)
17:1 マケドニアで最も重要な港町。こんにちのサロニキ。269(4)
17:3 使徒3:18。269(5)
17:5 多くのユダヤ人、とくにヨシュアという名の人々の用いたギリシア名。269(6)
17:6 Politarch. マケドニアで用いられた語。269(7)
17:7 ルカ(ルカ23:2)はヨハネ(ヨハネ19:12)に似てキリストを王とする。269(8)
17:10 マケドニア南部の町。269(9)
17:11 イエスが預言されたキリストであるか否か。269(10)
17:15 シラスとテモテはコリントでパウロといっしょになる。使徒18:5。269(11)
17:17 使徒16:19参照。269(12)
17:18 紀元前4世紀のエピクロスにはじまる快楽主義的思想。269(13)
17:18 主として紀元前4世紀のゼノンにはじまる世界主義的倫理思想。セネカやエピクテトスもストア派である。この両派は新約の時代にもっともさかんな哲学であった。269(14)
17:18 ソクラテスの受けた非難に似る(クセノフォンの『メモラビリア』のはじめ)。269(15)
17:18 ここでは「復活」Anastasis が女神とされていたとも解される。269(16)
17:19 アテナイのアクロポリスの西にある丘で、国事が議せられた所。269(17)
17:22 (たとえ異教であっても)信心深い、敬虔な、の意。271(1)
17:23 この銘が考古学的に立証されるわけではないが、パウサニアスその他が「知らぬ神々」のことをいうから、このままで無理ではない。ルカはここで自ら知らずして真の神を拝んでいるという意図を示している。271(2)
17:24 イザヤ42:5など。271(3)
17:24 使徒7:47以下。271(4)
17:25 詩篇50:12。271(5)
17:27 イザヤ55:7。271(6)
17:28 紀元前6世紀のエピメニデスにある。28節の後の部分は紀元前3世紀のアラトスやクレアンテスの引用とされるが、聖書も原人アダムを神の子とする(ルカ3:38)。271(7)
17:29 イザヤ40:18以下。271(8)
17:32 ここで復活そのものが嘲けられる。とくにエピクロス派は反対したであろう。271(9)
17:34 デオヌシオはのちにアテナイの最初の監督になったと伝えられる。271(10)
18:1 海陸の交通の要路で経済的に繁栄した文化都市。ローマ時代にはアカイアの中心であった。各地から異教的崇拝が導入され、道徳的水準は低かった。271(11)
18:2 このことは史家スエトニウスも記している。紀元50年ごろのことである。271(12)
18:3 パウロは経済的に自立して福音を宣べ伝え(使徒20:34、1コリント4:12)、またそれを人に勧めている(1テサロニケ4:11)。271(13)
18:5 二人がマケドニアのピリピからの援助を持参したからであろう。ピリピ4:15以下。271(14)
18:6 使徒13:51。271(15)
18:6 マタイ27:25。コリントでのパウロの状況は1コリント2:3にも描かれる。271(16)
18:7 未割礼の異邦人で神を信じた人であろう。271(17)
18:10 イザヤ41:10、43:5。271(18)
18:12 哲学者セネカの兄弟。デルフィの碑文は、彼が紀元51~52年ころ在任したことを示す。273(1)
18:14 ガリオの態度にはピラトのそれと相通ずるものがある(ルカ23:14)。ローマ当局はユダヤ人内部の問題には治安に差支えないかぎり干渉しなかった。273(2)
18:18 コリントの東の港。273(3)
18:18 パウロはナジル人の誓願を行なった面もある。民数6:9以下。273(4)
18:19 小アジアの西部の重要な都市。世界七不思議のひとつといわれた女神アルテミスの壮大な神殿があり、パウロ、ヨハネはじめ初期キリスト教徒活動の拠点であった。273(5)
18:24 アポロニウスの略。ルターは彼をヘブライ書の著者と想像する。273(6)
18:27 アポロがコリントでも活動したことはパウロも認める。1コリント1:12、3:6。273(7)
19:1 キリスト信徒のこと。彼らが十二人であったこと(7節)はエルサレムで十二人が指導的であったことと並行する。聖霊が下ってエペソにおけるペンテコステともいうべきことがおこってイエスへの真の信仰が抱かれたと解しうる。273(8)
19:2 聖霊なしでヨハネの洗礼だけというのは、ルカ3:16、使徒1:5に相応する準備的な行為である。273(9)
19:9 哲学か弁論術の教師か、あるいは建物の持ち主であろう。273(10)
19:12 ルカ8:44参照。275(1)
19:13 イエスの名を用いた例はルカ9:49にある。275(2)
19:14 ここ以外にスケワが大祭司であったという資料はない。大祭司の親族を広く含めての記事とも取れる。275(3)
19:18 真の信仰はつねに罪の告白へと導く。275(4)
19:19 エペソの魔術書、学術書は古来有名である。275(5)
19:19 「銀貨」とはドラクマ(1日の労銀)。275(6)
19:24 エペソを中心に広く崇拝された豊穣の女神。275(7)
19:27 エペソにあるアルテミスの壮大な神殿は古代の七不思議のひとつであった。275(8)
19:29 エペソの劇場は大勢の群衆を入れられる規模であった。275(9)
19:31 ローマ帝国のアジア州の政治にたずさわる数名の人。275(10)
19:34 群衆はキリスト信徒とユダヤ人とを区別していない。この事件は両者が共通に偶像販売者の利害に関わることによる。275(11)
19:35 町の高官で民衆の意見のまとめ役であった。275(12)
20:2 テトスにあってからパウロはコリントに来た。2コリント7:6以下。277(1)
20:3 この三か月の間にパウロはローマ書を書いたと推定される(ローマ15:23以下)。277(2)
20:6 使徒12:3。277(3)
20:7 親睦のための共同の食事である。277(4)
20:8 暗黒の中の秘密の集まりでないことを示す。277(5)
20:10 ペテロがタビタを起こしたことに相応し(使徒9:36以下)、エリヤ(1列王17:21)とエリシャ(2列王4:34)の事績を想起させる。277(6)
20:13 小アジアの西、レスポス島の対岸の町。277(7)
20:14 レスポス島の町。277(8)
20:15 小アジア西岸に近い、約920平方キロの島。277(9)
20:15 エペソの西南10キロの島。277(10)
20:15 小アジアの西岸の港町。タレースらイオニアの自然科学者の活動した文化の一中心。277(11)
20:17 使徒14:23。277(12)
20:18 使徒記の中でパウロが同信の友を相手にする唯一の演説で、信仰告白と激励の精神に満ちている。277(13)
20:24 2テモテ4:7。277(14)
20:26 エゼキエル3:18、20。277(15)
20:28 17節の長老と事実上、同じである。277(16)
20:33 1サムエル12:3。279(1)
20:34 使徒18:3。279(2)
20:35 このイエスの言は福音書にはないが、第一クレメンス書2:1、ディダケー4、バルナバ書19:9などに伝わっていて、真正なものとされよう。279(3)
21:1 小アジア西南の島。医家ヒポクラテスと史家ポリュピオスの故郷。279(4)
21:1 コスの東南にあり、南北77キロ、東西15キロの島。古くから各地の文化が栄えた。279(5)
21:1 小アジア西南の港町でアポロの託宣で有名である。279(6)
21:4 キリスト信徒。エルサレムから散らされた人々とその感化によるものであろう。使徒11:19。279(7)
21:7 旧約のアッコで、プトレマイオス王朝にちなんでこの名がある。フェニキアの重要な港町。こんにちはハイファの北につながる。279(8)
21:8 使徒8:40。伝道者と呼ばれるのは彼の活動の成果による。使徒8:5。279(9)
21:10 使徒11:28。279(10)
21:11 イザヤ20:2、エレミヤ13:1以下などと似る。279(11)
21:13 エルサレムがイエスの死の場所であったことと関係する。パウロも真の預言者として苦難と死を見る点でイエスにならう。279(12)
21:16 ムナソンは最も古い信徒の一人であろう。279(13)
21:20 使徒会議はユダヤ人の信徒のあり方を変えたわけではない。使徒15:29。279(14)
21:23 ナジル人の誓願を共にし、ささげものの費用をもつようにとの勧めである。使徒18:18。279(15)
21:26 パウロは柔軟な態度を取った。1コリント9:19以下。281(1)
21:28 異邦人を宮に入れることは禁じられていた。281(2)
21:31 エルサレムに駐屯していたローマ軍の一部である。千卒長は千人の頭である。281(3)
21:34 ローマの兵営アントニアは神殿の西北の高い所にあったので、階段によって往来した。281(4)
21:38 このような騒乱があったことは、史家ヨセフスも記している(古代史20:8:6など)。使徒5:36以下。281(5)
21:38 武装反乱者。281(6)
21:40 実際はアラム語であろう。ヘブライ人の国語の意でアラム語を含めることができる。281(7)
22:1 議会の人々を指す。使徒7:2。281(8)
22:3 パウロはユダヤ人として、その伝統を生かすことを強調する。281(9)
22:3 使徒5:34。281(10)
22:3 ガラテア1:14、ピリピ3:6。281(11)
22:6 パウロの回心のことは使徒9:3以下と26:12以下にもある。前後関係を考慮すればこれら三つは大同小異である。281(12)
22:15 イエスの直弟子の使命と似る。使徒1:8。283(1)
22:17 この部分は使徒9章にない。283(2)
22:17 使徒10:10、11:5に似る。283(3)
22:22 群衆は異邦人の伝道に反発したのである。283(4)
22:25 ローマの法律 Lex Porcia と Lex Julia による。283(5)
22:30 大祭司らはローマ軍の協力者であったから千卒長の意見を容れたのであろう。「つれ下して」とあるのは、兵営は神殿を見下ろす高い所にあったからである。283(6)
23:1 使徒22:1のように「父がた」がないのは尖鋭化した状況を反映する。283(7)
23:2 紀元47年以来、大祭司、ユダヤ戦争の前に熱心党に殺された。283(8)
23:3 マタイ23:27、エゼキエル13:10以下。283(9)
23:3 レビ19:15。283(10)
23:5 出エジプト22:28。283(11)
23:6 パウロはパリサイ人の希望の実現を主張する。パリサイ人でキリストを信じた人々のことは、使徒15:5にもある。283(12)
23:8 サドカイ人の復活否定についてはルカ20:27参照。天使も霊も復活すなわち永遠のいのちと関連する。283(13)
23:9 ピラトがイエスの無罪を認めたのに似る。283(14)
23:9 パウロの回心のことを指す。283(15)
23:10 エルサレムのユダヤ人から排斥されてローマ兵に助けられたことがローマ行きの誘因になる。285(1)
23:13 暴力集団は当時珍しくなかった。使徒21:38。285(2)
23:16 パウロの甥が連絡しえたのはパウロが軟禁状態であったからである。使徒28:31。285(3)
23:24 紀元52年以来パレスチナのローマ総督。使徒24:2、22の注を参照。285(4)
23:29 ガリオの場合と同じ態度である。285(5)
23:31 エルサレムからカイサリアへの途中の町。リダの西北20キロ。そこからはユダヤ人が少ないので護衛を減らしたのである。285(6)
23:32 エルサレムの神殿の近くの兵営。使徒21:34。285(7)
23:35 ヘロデの官邸が総督の本営に用いられていた。285(8)
24:2 実際はペリクスは暴政を行なっていた。285(9)
24:5 パウロを騒乱の責任者として告発した。287(1)
24:11 エルサレム行きの目的は17節にさらに詳しい。287(2)
24:17 エルサレムへの経済援助についてはローマ15:25以下、1コリント16:3など。287(3)
24:18 使徒21:26以下。287(4)
24:22 ペリクスはピリポ(使徒8:40)やコルネリオ(使徒10:24以下)たちによってカイサリアで福音に接していた。287(5)
24:24 ドルシラはヘロデ・アグリッパ一世の娘。ユメサ王アジズの妃であったが、ペリクスが奪って妻にした。それゆえペリクスは最後の裁きをおそれたのである。287(6)
25:3 使徒23:12以下の陰謀と同じである。287(7)
25:8 パウロがユダヤ人としてもローマ市民としても無罪であることを示す。287(8)
25:9 フェストは妥協案を示すが、パウロはエルサレムでたとえローマ人に裁かれようとも、騒ぎをおこすことを予見している。287(9)
25:19 パウロがアテナイ人について用いた単語である。使徒17:22。289(1)
25:21 「陛下」は Sebastos.ローマ皇帝の尊称、ラテン語の
Augustus に相当する。このくだりはヘロデ・アンテパスがイエスに会おうとしたことを想起させる。ルカ23:8。289(2)
25:23 ベルニケはのちにエルサレムを攻めた皇帝テトスと関係している。289(3)
25:25 ローマ総督ピラトがイエスを無罪としたのと似る。ルカ23:22。289(4)
26:5 使徒22:3。289(5)
26:5 threskeia. ヤコブ1:26以下。289(6)
26:6 イスラエルの古くからの希望がイエスの復活によって実現しつつあることをいう。289(7)
26:10 使徒8:3以下。289(8)
26:14 「ヘブライ語で」はヘブライ人の当時の用語としてアラム語を指している。したがってアラム名サウロが出る。パウロの宗教的体験が幼時から親しんだヘブライ系の国語で受けとめられた。291(1)
26:14 抵抗は無駄である、との意。ギリシアのエウリピデスの悲劇(『バッカイ』794以下)に似た形があるが当時ことわざとして用いられていたのであろう。291(2)
26:18 イザヤ42:7、16。291(3)
26:18 エゼキエル33:16。291(4)
26:18 申命33:3。291(5)
26:20 ルカ3:8。291(6)
26:21 使徒21:31。291(7)
26:23 ルカ24:26、46以下、使徒3:18。291(8)
26:29 人が信徒にするのでなく、信徒になるように祈るべきことがここの文面にあらわれている。291(9)
27:1 使徒16:10の注参照。291(10)
27:1 皇帝直属の軍隊。291(11)
27:2 小アジア西部の港町でレスボス島の対岸にある。291(12)
27:3 マタイ11:21の注参照。使徒11:19はフェニキア伝道を記す。291(13)
27:5 小アジア南部の港町。地中海交通の要地のひとつ。291(14)
27:6 エジプトの穀物を運ぶ船。38節。293(1)
27:7 小アジア西南の町。293(2)
27:7 クレタ島東部の岬。293(3)
27:8 クレタ島南都の古い町。293(4)
27:9 レビ16:29。293(5)
27:10 パウロは長年の経験から慎重な行動を勧める。彼はいわゆる神がかりの宗教家ではない。なお、以下の航海記は古代の旅行の実態を反映する貴重な資料でもある。293(6)
27:12 神話で不死鳥の名。293(7)
27:14 ヘレニズム時代の航海用語。293(8)
27:16 クレタ島の南方、約40キロの小島。293(9)
27:17 北アフリカのリビアの西の大きな湾。無人の砂浜が多いので乗り上げるのをおそれたのである。293(10)
27:27 こんにちとはちがってギリシアとクレタ島とシシリー島との間の海を広くさす。293(11)
27:28 1オルグイアは約1メートル80センチ。293(12)
27:34 ルカ21:18以下。293(13)
28:1 約240平方キロの島で東西交通の要地。295(1)
28:2 ギリシア語バルバロイは外国語を話す人の意。マルタはカルタゴの勢力下にあり、フェニキア語、ギリシア語その他が並用されていた。295(2)
28:4 ディケーのこと。295(3)
28:6 (異教の)一種の神の意。使徒14:12と大差ない。この節はルカ10:19の実現を意味する。295(4)
28:11 ゼウスの双児カストルとポリュクスで、航海の守護神。その像が船のへさきに飾られた。295(5)
28:12 シシリー島の東にある港町で古来ギリシアの植民地。紀元前212年にローマに占領されたとき、アルキメデスが殺された。295(6)
28:13 メッシナ海峡にのぞむ港町。295(7)
28:13 ナポリの近くの町。295(8)
28:14 百卒長ユリウスの善意の処理がうかがわれる。295(9)
28:15 ローマからアピウスの広場へは約65キロ、トレス・タベルネまでは約49キロ。トレスは「三つ」、タベルネは英語の
tavern に残る語で、食堂と宿屋とを兼ねたもの。三軒茶屋とでも言おうか。295(10)
28:17 他の町のようにパウロはまず同胞に接触する。使徒13:46。295(11)
28:25 イザヤ6:9以下。295(12)
28:27 使徒9:15の預言が実現して行く。296(1)