1:1 啓示によって神に代わって語った人々を広く指す(2ペテロ1:21)。447(1)
1:1 古いイスラエルの人々(マタイ5:21など)。総じて1節は旧約時代のことを指す。447(2)
1:2 神の介入によって去りゆくこの世の終わり(エレミヤ23:20、エゼキエル38:16、1コリント1:8、1ペテロ1:20)。447(3)
1:2 ヨハネ1:1。447(4)
1:2 ローマ4:13以下。447(5)
1:2 神の子は神と一体であって創造に関与する(コロサイ1:17)。ヨハネ(ヨハネ1:3)は神の子をことばとするが、形において知恵が創造に優先的位置を占めたという思想にも通ずる(箴言8:27以下)。447(6)
1:3 山上の変容(マタイ17:1~8)、復活のイエス(ピリピ3:21など)に現われる姿。447(7)
1:3 「本質」 hypostasis. 「型」 charaktêr. いずれも当時のユダヤ教神学の用語である。447(8)
1:3 エペソ1:20以下。447(9)
1:4 当時のユダヤ教で天使崇拝が盛んであったが、新約はキリストを天使以上とし(1ペテロ3:22など)、天使崇拝をいましめる(コロサイ2:18、黙示19:10)。447(10)
1:4 古代では、「名」は実体につながる(ピリピ2:9以下)。447(11)
1:5 詩篇2:7。447(12)
1:5 2サムエル7:14。447(13)
1:6 申命32:43の七十人訳(ギリシア語訳)聖書による(詩篇97:7)。447(14)
1:6 栄光のキリストのこの世への啓示である。447(15)
1:7 詩篇104:4。447(16)
1:9 詩篇45:6以下。447(17)
1:10 詩篇102:25~28。447(18)
1:11 イザヤ51:6など。447(19)
1:13 詩篇110:1。総じて詩篇110の思想がヘブライ書の中に流れている。447(20)
1:14 ヘブライ1:4の注。なお天使による支えについては詩編91:11以下参照。447(21)
2:1 ヘブライ1:1以下のような聖書の朗読を含む宣教の内容(ヘブライ5:12)。447(22)
2:2 旧約を指す。キリストは天使以上という主張(ヘブライ1:1以下)を受け、福音は旧約の律法以上という方向を示す。447(23)
2:3 福音拒否の報いの大きさをいう。447(24)
2:4 ローマ15:19、2コリント12:12。福音は人知をこえる奇跡的な成果をもたらす。447(25)
2:5 キリストによって来たりつつある神の国(ヘブライ6:5)。447(26)
2:6 詩篇8:5以下、1コリント15:27。449(1)
2:8 神の国は来つつあるが現在は未完成である。449(2)
2:9 イエスの苦難と死と復活を指す(ピリピ2:8以下)。449(3)
2:10 ローマ11:36、1コリント8:6。救い主の苦難に中心的意味を置く苦しむものへの福音である。449(4)
2:10 完全、完成、成就などは聖書の重要概念である(ヘブライ5:9、マタイ5:48など)。449(5)
2:11 救い主と救われるものとの一体性に救いの保証と慰めがある。449(6)
2:11 ヨハネ20:17。449(7)
2:12 詩篇22:22。449(8)
2:13 イザヤ8:18。449(9)
2:14 神の子が人間として地上に来臨されたこと(ヨハネ1:14)。罪のない彼の死によってすべての死が克服される。449(10)
2:15 ローマ5:21。449(11)
2:16 最も低い人々から救いがはじまる。449(12)
2:17 祭司でなく建築家であったイエス(マルコ6:3)が神と人との間を整える祭司の役を祭司以上に果たしたがゆえに、彼こそ大祭司であるというのがヘブライ書の主題のひとつである。このほか聖所なども新しい意味で用いられている。これは精神化や抽象化というよりも、むしろそれぞれの職能の純粋な実践の方向を示すものである。449(13)
2:18 試みは苦しみに結びつく(ヘブライ4:15、マタイ6:13)。449(14)
3:1 「つかわされたもの」の意。イエスは神からつかわされているが(マルコ9:37、ヨハネ3:17など)、イエスについて名詞として用いられるのは新約中ここだけである。449(15)
3:2 モーセについては民数12:7。449(16)
3:3 イエスは創造に関与するがゆえに(ヨハネ1:3)、モーセ以上である。449(17)
3:4 万有の創造者は神である(イザヤ40:28)。449(18)
3:6 モーセは家の奉仕者、キリストは子。449(19)
3:6 1ペテロ2:5、4:17。449(20)
3:7 詩篇95:7~11(出エジプト17:7)。449(21)
3:11 民数14:21~23参照。449(22)
3:12 民数14:11。449(23)
3:13 ヘブライ3:7、15。「きょう」は入信と最後の日の中間にある。449(24)
3:14 ピリピ3:12。451(1)
3:15 詩篇95:8。451(2)
3:16 出エジプト17:1以下。451(3)
3:18 11節、民数14:22以下。451(4)
3:19 民数14:39以下、申命1:41以下。451(5)
4:1 詩篇95:11。旧約で砂漠から乳と蜜の流れる地へ入る約束が与えられていた(民数14:8)。それが新約では神の国への約束となる。451(6)
4:2 旧約が新約にあてはめられたいい方である。451(7)
4:3 旧約で不可能であったことが新約の信仰の世界で可能になる意。451(8)
4:4 創世2:2。451(9)
4:7 ヘブライ3:13の注。451(10)
4:8 乳と蜜の流れるカナンに入ることが安息であった(ヨシュア21:44、22:4、23:1)。しかしヘブライ書はそれを型として新約的に神の国に入ることを真の安息とする。451(11)
4:9 神の国が来るまで安息は未完成である。451(12)
4:10 キリストの昇天(ヘブライ4:14、9:24、10:12)、および信徒の昇天をさす。このことはキリストと信徒との一体性(同2:11など)から説明しうる。451(13)
4:11 救われるものへの奨励である。451(14)
4:12 ヨハネ12:48(イザヤ49:2、エペソ6:17)。451(15)
4:13 ローマ14:12。451(16)
4:14 キリストは天の彼方に(ヘブライ7:26)、また天の中にいます(同8:1、9:24)。神は天よりも高くいますとともに天の中にいます。451(17)
4:15 イエスが試みにあって苦しむ弱い人間の姿をとられたからこそ、彼は救い主である(2コリント13:4)。451(18)
4:16 ヘブライ10:22。451(19)
5:1 1~4節で大祭司の職能が記され、5節以下でキリストが真の大祭司といわれる。供え物をすることはレビ1章、4章などに詳しい。451(20)
5:2 ヘブライ7:28。451(21)
5:4 出エジプト28:1以下。453(1)
5:5 詩篇2:7。453(2)
5:6 詩篇110:4。453(3)
5:7 地上の生涯の中で。453(4)
5:7 ルカ22:44、ヨハネ12:27。453(5)
5:8 ピリピ2:8。453(6)
5:8 ローマ5:19。453(7)
5:9 ヘブライ2:10の注。453(8)
5:12 1コリント3:2以下。453(9)
5:13 義についての議論。453(10)
6:2 ここに初歩として挙げられた悔い改め、信仰、洗礼(清め)、按手、復活、裁き、の六つはユダヤ教にもある。洗礼がエッセネ派その他で行なわれたことはクムラン宗団の例にも見られる。復活はパリサイ派も信じていた(使徒23:8)。これら初歩のことが否定されるのでなく(3節)、福音的な救いの完全なものを求めることが勧められている。453(11)
6:4 入信のこと(2コリント4:6)。453(12)
6:4 信仰生活のよろこびを味わったこと。そこに同信のものの共同の食事も含まれる。453(13)
6:5 キリストによる救いの福音。453(14)
6:5 キリストによって来世は実現しつつある(ヘブライ1:2、9:11)。453(15)
6:6 離れたものが戻り難いという現実から、信徒に離れないよう勧めるのであって、離れたものの運命の教義的規定ではない。453(16)
6:7 創世27:27以下、申命11:11など。453(17)
6:8 マタイ13:7、30。453(18)
6:10 信徒のこと。神の国で聖められる約束を受けるものの意(ローマ1:7)。453(19)
6:11 ヘブライ3:6、ピリピ1:6。453(20)
6:14 創世22:16以下。453(21)
6:18 神の約束と誓い。455(1)
6:19 レビ16:2、12。455(2)
6:20 ヘブライ4:14、5:10。455(3)
7:1 創世14:18~20、詩篇110:4。455(4)
7:3 ユダヤ教では祭司の父母や系図が重んぜられたが、メルキセデクは普通の祭司以上で永遠に存在することを示す。メルキセデクのことはクムラン文書にも出る。455(5)
7:4 創世14:20。455(6)
7:5 民数18:21。レビや祭司について洗礼者ヨハネ(祭司的)とイエス(王的)との対比が考えられているともいえよう。455(7)
7:5 体力の集中する腹に子孫の種があると考えられた(10節、創世35:11、1列王8:19)。455(8)
7:11 ヘブライ7:28。同2:10の注参照。455(9)
7:14 マタイ1:2、ルカ3:33、黙示5:5。イエスがユダの出のダビデの子(マタイ9:27、ルカ1:32、ローマ1:3、2テモテ2:8、黙示22:16など)といわれるのにも、祭司族でなく王族の血を引いているという意味がある。455(10)
7:16 ユダヤ教の律法が肉的すなわち神的でなく人間的になったことへの批判がある。455(11)
7:18 明白な律法無用論である(ローマ7:6)。455(12)
7:19 律法以上のものの力を示す(ローマ8:3)。455(13)
7:20 ヘブライ6:17。455(14)
7:21 詩篇110:4の自由な引用。455(15)
7:22 ヘブライ9:15の注。455(16)
7:26 復活して永遠の世界に入った栄光の神の子のことである。457(1)
7:27 十字架上の死という犠牲である。旧約の諸概念を用いてそれらの意味を明らかにしつつ、イエスがそのもっとも純粋至高の成就者であることを示す。457(2)
8:1 復活のキリストが大祭司として天の聖所にいますことを示す(ヘブライ1:3、9:11)。457(3)
8:5 ヘブライ9:24。457(4)
8:5 コロサイ2:17。457(5)
8:5 出エジプト25:40。457(6)
8:6 ヘブライ7:19。457(7)
8:6 ヘブライ9:15、12:24。457(8)
8:7 出エジプト24:3以下。457(9)
8:8 エレミヤ31:31~34。457(10)
8:10 ヘブライ10:16。457(11)
8:13 2コリント3:6以下。キリストが犠牲となって神と人との間に新しい契約が結ばれ、人は律法を守りえずとも無条件に救われることになった。457(12)
9:2 出エジプト25:23以下、31以下。457(13)
9:3 出エジプト26:33以下。457(14)
9:4 出エジプト25:17、21。457(15)
9:5 天使の名(出エジプト25:18)。457(16)
9:9 この世の礼拝の不完全さを示す。457(17)
9:10 原語は「バプテスマ」(洗礼)である。聖餐も一種の飲食であるから肉の(人間的な)規則という批判は現代的でもある。457(18)
9:10 新約中ここだけの語。新しい契約すなわちキリストによる救いの到来である。その完成は近づきつつある。457(19)
9:10 人間的な、地的な、この世的な、従って一時的な、の意。457(20)
9:11 2コリント5:1など。イエスの発言と伝えられるものにも似た表現がある(マルコ14:58など)。幕屋や宮が否定されるのでなく、その人間臭が除かれる完成の時を待つ意味である。459(1)
9:12 マルコ10:45、ローマ3:24。459(2)
9:13 民数19:2以下。459(3)
9:14 十字架の血によって清めが徹底され、万人にそれへの道が開かれたことをいう。459(4)
9:15 ルカ22:20。2コリント3:6など。459(5)
9:15 ローマ8:17。459(6)
9:16 通常「契約」と訳されるギリシア語 diathêkê には「遺言」(ラテン語 testamentum)の意味もある(ガラテア3:15~17)。ここでは両方の意味で用いられている。ちなみに、このラテン語から英語等の testament ができ、「旧」「新」の形容詞がつけられて聖書を指すことになった。459(7)
9:20 出エジプト24:8、マタイ26:28。459(8)
9:23 ヘブライ8:5。459(9)
9:23 新しく完成される神の国に属するもの。459(10)
9:26 キリストの一回性は彼の独自性の説明である。459(11)
9:28 キリストの再臨のときはすべての罪のゆるしが完成して、二度目の十字架の必要がないとの意。459(12)
10:1 祭儀を主とする律法が一時的のものであることをいう。459(13)
10:4 祭儀が神によろこばれないことはイザヤ1:11以下、エレミヤ6:20、ホセア6:6、アモス5:21以下、ミカ6:6以下などにある。459(14)
10:5 詩篇40:6以下、マタイ9:13。459(15)
10:10 ヘブライ9:28。461(1)
10:13 詩篇110:1。461(2)
10:14 十字架の血によるあがないの唯一かつ永久のことをいう(ヘブライ7:25、9:28)。461(3)
10:17 ヘブライ8:10以下、エレミヤ31:33以下。461(4)
10:18 祭儀からの徹底的な解放である。461(5)
10:19 ここでは天の聖所のことで、恵みの御座(ヘブライ4:16)、幕の中(同6:19)、天そのもの(同9:24)などと同じである。461(6)
10:20 地上のわれらのように人の形をとった神の子。461(7)
10:21 大祭司と同じ。ここではキリストを指す。461(8)
10:22 ヘブライ4:16。461(9)
10:22 エゼキエル36:25。心と体と双方の清めである。洗礼者ヨハネもこの実践者であり、イエスはそれを福音的に成就する(ヨハネ3:5、13:10など)。461(10)
10:23 ヘブライ4:14。461(11)
10:23 神の約束が動かないというのが信仰である(ヘブライ6:15、11:11)。461(12)
10:25 ローマ13:12など。461(13)
10:26 ヘブライ6:4~8に似る。461(14)
10:27 イザヤ26:11など。461(15)
10:28 民数15:31、35:30、申命17:6。461(16)
10:29 マタイ12:32。461(17)
10:30 申命32:35以下。パウロは人が自ら復讐せずに神にゆだねるべきことをいう(ローマ12:19以下)。神の裁きは人のそれとは異なる。461(18)
10:32 信徒の受けた苦しみを思い出させてなぐさめ励ます(1テサロニケ2:14)。461(19)
10:34 マタイ6:20、19:21など。461(20)
10:35 いわゆる報酬でなく、苦しみを含めてすべてが神の応答であると感謝しうること。461(21)
10:36 ヘブライ12:1以下に詳しい。461(22)
10:37 イザヤ26:20(七十人訳聖書)、ハバクク2:3。461(23)
10:38 ハバクク2:4(ローマ1:17、ガラテア3:11)。461(24)
11:1 人間の感覚で認めうるものと然らざるものとが対比され(ローマ8:24以下、2コリント4:18)、信仰は後者を、前者以上に確かで、永久的な神的なものへの希望である、と説明される(3節後半)。463(1)
11:2 信仰の見地に立つと昔の人々が神のことを証することがわかる。463(2)
11:3 ヘブライ1:3参照。463(3)
11:3 1節の思想。463(4)
11:4 創世4:1以下。463(5)
11:4 神によろこばれるがゆえに、永遠に生きて今も語ることばをもつ。463(6)
11:5 創世5:24。463(7)
11:5 神による移界(ありかの移動)は聖書でしばしばいわれる(詩篇18:16、73:24など)。イエスの復活も一種の移界である。463(8)
11:6 信ずるものが豊かに恵まれるという体験から出た表現である。463(9)
11:7 創世6:8以下。463(10)
11:7 箱舟に入ったものが救われ、然らざるものは裁かれて滅びた。この世では救いは裁きを伴い(ヨハネ3:16以下)、救われる信徒は世を裁く(1コリント6:2以下)。463(11)
11:7 ローマ4:13(詩篇37:29)。463(12)
11:8 創世12:1以下。463(13)
11:9 沃地パレスチナのこと。463(14)
11:9 創世23:4。463(15)
11:9 創世21:1以下。463(16)
11:9 創世25:26以下。463(17)
11:10 エルサレムのこと(詩篇48:8、87:1、5、イザヤ28:16)。真の都は天のエルサレムである(黙示21:2)。463(18)
11:11 創世17:19。463(19)
11:12 ローマ4:19。463(20)
11:12 創世15:5、22:17。463(21)
11:13 9節。1ペテロ1:1、2:11。このことはキリストによって克服される(エペソ2:19)。463(22)
11:14 天の故郷。463(23)
11:15 メソポタミア。463(24)
11:17 創世22:1以下。463(25)
11:18 創世21:12。463(26)
11:19 復活には再会という面がある(ルカ15:24、32)。463(27)
11:21 創世47:31、48:15以下。463(28)
11:22 創世50:24。463(29)
11:23 出エジプト2:2以下。465(1)
11:26 油そそがれたものの恥辱(詩篇89:51、イザヤ53:1以下)。旧約の中に新約への示唆がある。465(2)
11:27 出エジプト2:15。465(3)
11:27 信仰によって、の意(ヘブライ11:1)。465(4)
11:28 出エジプト12:13。465(5)
11:28 出エジプト12:23、1コリント10:10。465(6)
11:29 出エジプト14:22、27。465(7)
11:30 ヨシュア6:20。465(8)
11:31 ヨシュア2:1以下。465(9)
11:33 ヘブライ6:15、ローマ4:21。465(10)
11:33 1サムエル17:34以下、ダニエル6:22。465(11)
11:34 ダニエル3:23以下。465(12)
11:35 1列王17:23、2列王4:34~35。465(13)
11:35 旧約にある復活はふたたび死に至ったが、真の復活は永遠のいのちへ至る。465(14)
11:37 外典「イザヤの昇天」5:11以下。465(15)
11:37 預言者らしい装いで、洗礼者ヨハネも皮の衣を着た(マタイ3:4)。465(16)
11:39 2節。465(17)
11:39 13節。465(18)
11:40 新約的な神の国の完成が旧約を完成する、との意。465(19)
12:1 強い意味で、旧約と新約の連続性をいう。465(20)
12:1 ヘブライ11:2、39。465(21)
12:1 1コリント9:24以下。465(22)
12:2 苦しむものの救いという初歩のことと、その救いの完成という仕上げとの双方。465(23)
12:2 ヘブライ1:3、8:1、10:12、ピリピ2:8以下。465(24)
12:4 だれもイエスのごとくではありえないこと。465(25)
12:5 2節の手ほどきと仕上げとを受ける。465(26)
12:5 箴言3:11以下。465(27)
12:6 イエスについてはヘブライ5:8参照。465(28)
12:7 黙示3:19。465(29)
12:7 父なる神は信徒を神の子としてイエスのごとく扱いたもう(ローマ8:17)。465(30)
12:8 しつけのための苦しみの中に父なる神の愛を見る。467(1)
12:9 「肉の」は人間の、「霊の」は神的の意。地上のことで天来のことを説明する。467(2)
12:11 ヘブライ5:14。467(3)
12:11 神の国の完成のときの模様を示す(ローマ14:17、ピリピ1:11)。467(4)
12:13 イザヤ35:3。467(5)
12:14 最低の状態から救われるものは神とだけでなく、すべての人との平和に救いの形を見る(ローマ5:1、12:18)。467(6)
12:14 ローマ6:19。467(7)
12:14 マタイ5:8、1コリント13:12、1ヨハネ3:2。467(8)
12:15 申命29:17(七十人訳聖書)。467(9)
12:16 創世25:33以下。467(10)
12:17 創世27:30以下。467(11)
12:17 復帰の難しさを指す(ヘブライ6:4以下など)。放蕩息子のたとえ(ルカ15:11以下)は復帰するものを温かく迎える神の愛を示す。467(12)
12:18 シナイ山のこと(出エジプト19:12、16、18)。467(13)
12:19 出エジプト19:16、19。467(14)
12:19 民は恐れた(出エジプト20:18以下)。467(15)
12:20 出エジプト19:13。467(16)
12:21 申命9:19。467(17)
12:22 新約の世界ではすべてが天の方向に近づきつつある。467(18)
12:22 黙示14:1。467(19)
12:22 ガラテア4:26、黙示21:2。467(20)
12:22 黙示5:11。467(21)
12:23 ルカ10:20、黙示3:5。467(22)
12:23 キリストが長子である(ヘブライ1:6)ように、救われるものも然りである。467(23)
12:24 ヘブライ9:15。467(24)
12:24 ヘブライ8:6。467(25)
12:24 創世4:10。イエスの十字架上の血は万人を救う。467(26)
12:25 神を指す(ヘブライ1:1~2、2:3~4)。467(27)
12:26 詩篇68:8、114:7。467(28)
12:26 詩篇96:9~11。467(29)
12:27 マタイ24:29以下。467(30)
12:28 ダニエル7:14、18。467(31)
12:29 申命4:24。467(32)
13:1 同信の友の間の愛(ローマ12:10など)。467(33)
13:2 古代に旅びとの世話をすることはよい習慣とされた(ローマ12:13)。467(34)
13:2 サラ(創世18:3)とロト(同19:2)のこと。467(35)
13:3 パウロ(ピリピ1:7)その他、捕われの人々が初期の信徒にあった。467(36)
13:3 信徒は一体であり、苦楽を共にする(1コリント12:26)。469(1)
13:4 エペソ5:5、1コリント6:13以下など。469(2)
13:5 申命31:6。469(3)
13:6 詩篇118:6。469(4)
13:7 神の言を宣べ伝える人。469(5)
13:7 殉教を含む苦難。469(6)
13:8 ヘブライ1:12。7節と9節の間にあって、イエスにならえの意。469(7)
13:9 ローマ14:2以下。469(8)
13:10 新約の祭壇はキリストの新しい契約によるものである。469(9)
13:11 ヘブライ9:7参照。469(10)
13:12 すべての民に救いの道を開くためである。469(11)
13:13 信徒は彼と苦しみを共にする(ローマ8:17)。469(12)
13:14 永遠の都は近いが、未だ来ていない(ヘブライ12:22)。469(13)
13:15 詩篇50:14。469(14)
13:15 ホセア14:2。469(15)
13:20 1ペテロ5:4(イザヤ63:11)。469(16)
13:23 使徒16:1。469(17)
13:24 7節。469(18)
13:24 ヘブライ6:10の注。469(19)