ヘブライ書

   神の子は天使以上

1章 1むかし神は多種多様の形で預言者たちによって先祖にお語りでしたが、2この末の日にはわれらにみ子によってお語りでした。神は彼をすべてのものの世継ぎとし、彼によって世々をおつくりでした3み子は神の栄光の輝き、神の本質の型で、すべてをその力のことばによって支え、罪の清めをなして、いと高き所で大能者の右に座をお占めでした。4彼は天使たちにまさるものにおなりです。それにふさわしく、彼が受け継がれたは彼らにおまさりです。

   その聖書的根拠

 5神はかつてどの天使に、「なんじはわが子、きょうわたしはなんじを生んだ」といい、さらに、「わたしは彼の父、彼はわたしの子となろう」といわれたでしょう。6さらに、初子を世界に引き合わすに際して、「神の使いはみな彼にひれふすべきである」といわれました。7そして天使たちには、「使いたちを風とし、仕えるものを炎となしたもうもの」といわれていますが、8み子についていわれますには、「神よ、み座は世々とこしえ、公平の杖はみ国の杖。9なんじは義を愛して不法を憎み、それゆえなんじの神にいます神は、なんじの友をさしおいてよろこびの油をなんじに注ぎたもうた」です。10さらにいわれています、「主よ、はじめになんじは地の基をすえたまい、天はみ手のわざである。11これらは滅びるがなんじは永遠(とわ)にいます。すべてのものは衣のように古び12なんじはそれらを上着のように巻きたもう。これらは衣のように変わるが、なんじはつねに同じくいまし、なんじの齢は尽きない」と。13どの天使にかつていわれたでしょう、「わが右に座しなさい、わたしがなんじの敵をなんじの足台とするときまで」と。14彼らはみな仕える霊で、救いを継ぐものたちに奉仕するようつかわされたのではありませんか。

   主のことばの優先

2章 1それゆえ、われらは聞いていることにますます心を向けて、道をそらさないようにしましょう。2もし天使たちによって語られたことばに力があって、あらゆる違法と不従順がそれ相応の報いを受けたならば、3われらはかくも大きな救いを無視して、どうして報いを逃れえましょうか。この救いは主によって語られたのにはじまり、それを聞いた人たちによってわれらのために力あるものとされ、4神が徴と不思議と多くの偉力とみ旨による聖霊の賦与とによって、ともに証をなさいました。

   人間イエスの栄光

 5神は、われらが語っている来たるべき世界を、天使たちに従わせることをなさらなかったのです。6聖書のどこかがこう証しています、「み心にとめたもうとは、人は何であるのか、顧みたもうとは、人の子は何であるのか。7彼をしばし天使たちより低くし、栄光と誉れで彼に冠りし、8すべてを彼の足もとに従えさせたもうた」と。すべてを彼に従えさせたもうたとあるがゆえに、彼に不服従のものは何もお残しにならなかったのです。しかし今なお、われらはすべてが彼に従っているのを見ていません9われらが見るのは、しばし天使たちより低くされ、死の苦しみを経て栄光と誉れで冠りされたイエスです。それは神の恵みによってすべての人のために死を味わわれるためでした。

   救うものと救われるもの

 10すべてが彼のためにあり、すべてが彼によって成ったその方にとって、多くの子らを栄光に導くようにと、彼らの救いの君を苦しみによって全うなさることはふさわしいことでした。11きよめるものもきよめられるものも、皆ひとりからの出です。そのために彼は彼らを兄弟と呼ぶことを恥となさいません。12こういわれています、「わたしはみ名を兄弟に告げ知らせ、集まりの中であなたをほめうたおう」と。13また、「わたしは彼により頼む」といい、また、「見よ、わたしとそして神がわたしにお与えの子らと」ともいわれています。14さて、子らが血と肉を共に分かち合うので、彼も同じくそれらをお持ちです。それは死の力を持つもの、すなわち悪魔を自らの死によって滅ぼし、15死の恐れのために一生奴隷となっていたものをすべて解放するためです。16実に彼は天使たちをお助けにならず、アブラハムの末をお助けです。17それゆえイエスは何につけても兄弟に似る必要がおありでした。それは民の罪をあがなうよう、神の前にあわれみ深い忠実な大祭司におなりのためです。18彼自ら試みられてお苦しみでしたので、試みられるものたちをお助けになれるのです。

   神の家

3章 1それゆえ、天の召しにあずかる聖なる兄弟よ、われらが告白する使徒であり大祭司であるイエスをお思いなさい。2彼が彼をお立ての方に忠実であったことは、モーセが神の家にそうであったごとくです。3彼はモーセより大きい栄光に値しました。それは家を造るものが家よりも大きな誉れを持つごとくです。4どの家もだれかに造られています。すべてをお造りになった方は神です5モーセは神の全家に奉仕者として忠実でした。それは後に語られるべきことどもへの証のためでした。6しかしキリストはとして忠実であり、神の家の上にお立ちでした。もしわれらが望みの確信と誇りをあくまで持ち続けるならば、われらは神の家です。

   そむきへの警告

 7それゆえ、聖霊がいいます、「きょう、あなた方がお声を聞いたなら、8荒野での試みの日にそむいたときのように心を頑にするな。9荒野であなた方の先祖はわたしを試みためし、わがわざを見て10四十年を過ごした。それゆえわたしはその世代の人々に怒り、こういった、『つねに彼らの心は迷い、彼らはわが道をわきまえなかった』。11わが怒りのうちに誓ったように、『彼らはわがいこいに入らせない』」と。12兄弟たちよ、心して、あなた方のだれも不信の悪い心を持って生ける神から離れることのないようになさい。13日ごと互いに励まし合って、「きょう」といわれるうちに、あなた方のだれかが罪に迷わされて頑にならないようになさい。14もしわれらがはじめの確信をあくまで堅持するならば、われらはキリストの同志になるのです。15こういわれています、「きょう、あなた方がお声を聞いたなら、神にそむいたときのように心を頑にするな」と。16聞いてそむいたのはだれでしたか。モーセによってエジプトを出たものすべてではありませんでしたか。17四十年間、神がお怒りになったのはだれに対してでしたか。罪を犯して死体を荒野に横たえたものたちにではありませんか。18彼のいこいに入らぬようお誓いになったのは、不従順の人々でなくてだれですか。19われらにわかるのは、彼らが不信のゆえに入りえなかったことです。

   いこいに入るもの

4章 1それゆえわれらはおそれます、神のいこいに入る約束がまだそのままなのに、あなた方のだれかがそれにおくれをとりはしないか、と。2われらにも彼らにと同じく福音が伝えられています。しかし彼らには聞いたことばが役だちませんでした。そのことばが、聞いた人たちに信仰によって結ばれなかったからです。3信じるようになったわれらはいこいに入るのです。それは聖書に、「わたしが怒って彼らをわがいこいに入らせない、と誓ったように」とあるとおりです。しかもみわざは世のはじめから成就しました。4聖書のあるところで七日目について、「神は七日目にすべてのみわざを休まれた」とあり、また5上に挙げたところで、「彼らはわがいこいに入らせない」とあります。6さて、ある人々がそこに入る余地があり、初めに福音を伝えられた人たちが不従順のゆえに入りませんでしたので、7神はさらにある日、すなわち「きょう」をお定めです。それは長い時がたってからダビデによっていわれました。すなわち、先に挙げたように、「きょうあなた方がみ声を聞いたなら、心を頑にするな」です。8もしヨシュアが彼らを休ませたならば、その後に神は別の日についてお語りではなかったでしょう。9それで、安息はなお神の民に残されています。10神のいこいに入るものは、神がみわざを休まれたように自らもわざを休んだのです。11それでわれらはかのいこいに入るよう努め、だれもこのような不従順の例にならって堕落しないようにしましょう。

   すべてを見たもう神

 12神のことばは生きており、力があっていかなる両刃のよりも鋭く、心と霊、関節と髄を分かつところまで貫き、心の考えと思いを見分けます。13ひとつとして、造られたものは神の前に隠れえず、すべて彼の目には裸であらわで、彼に対してわれらは責任があります。

   われらの大祭司

 14われらにはもろもろのをお通りの大祭司である神の子イエスがいますので、われらの告白する信仰に堅く立ちましょう。15彼はわれらの弱さを共に悩みえない大祭司ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべてについてわれらと同じく試みられた方です。16それゆえわれらははばからず恵みのみ座に近づきましょう。そこであわれみを受け、時にかなった助けにあずかるよう恵みをいただきましょう。

   大祭司メルキセデク

5章 1すべて大祭司は人々の間から選ばれて人々のために神へのことをする務めがあります。それは罪のために供え物といけにえをささげるためです。2彼は自らも弱さに悩むので、無知な迷う人々にやさしくでき、3その弱さゆえに、民のためと同じく自らのためにも罪についてささげものをせねばなりません。4だれも自ら誉れを受けるものはなく、神に召されて受けます。アロンの場合のようにです。5そのように、キリストも自ら大祭司になる誉れを得たのではなく、彼に、「なんじはわが子、きょうわたしはなんじを生んだ」といわれた方がお与えでした。6また別のところで神はいわれます、「なんじはメルキセデクに等しくとこしえに祭司である」と。7彼は肉にいましたころ、大声ととで死から救いえたもう方に祈りと願いとをささげ、敬虔によって聞きとどけられました。8彼はみ子にいましながら、苦しみによって従順をお学びでした。9そして全きものにされて、すべて彼に従順なものに永遠のいのちの源とおなりでした。10彼は神によってメルキセデクに等しい大祭司と呼ばれたのです。

   乳と堅い食物

 11メルキセデクについてわれらは語るべきこと多く、またそれを解き明かすことは困難です。あなた方の耳が遠くなったからです。12あなた方はとっくに教師におなりのはずなのに、ふたたびだれかが神のことばの初歩を教える必要があります。あなた方には堅い食物でなくて乳がいる始末です。13すべて乳を飲むものは幼子ですから義のことばがわかりません。14堅い食物は、善悪を見分けるよう感覚が習慣によって練られた成人者のものです。

   初歩から完全へ

6章 1それゆえ、われらはキリストについての教えの初歩をあとにして完全へと進みましょう。またもや、死んだ行ないの悔い改めと神への信仰、2洗礼や按手、死人の復活と永遠の裁きなどの教えの基礎を置くことはしますまい。3これらをも、神がよみしたもうならば、いたしましょう。

   入信後の堕落

 4ひとたび光を受けて 天の賜物を味わい、聖霊にあずかり、5神のよいことば来世の力とを味わったものたちが、6それにもかかわらず堕落してからは、ふたたび悔い改めへと導くことはできません。それは彼らが自ら神の子を、またもや十字架にかけて、さらしものにしているからです。7地がその上にたびたび降る雨を飲み込んで、耕す人々に役だつ作物を育てるならば、神からの祝福にあずかります。8しかし、やあざみを生やすならば、地は無用になり、呪いに近づき、果てには焼かれます。

   名あて人への励まし

 9しかし、親愛なる方々、こうはいいますものの、あなた方については、よりよいもの、救いに導くものがあることをわれわれは確信しています。10神はあなた方がみ名のためにした愛のわざをお忘れのような不義の方ではありません。あなた方はかつて聖徒にお仕えでしたし、今もお仕えです。11われらは願っています。あなた方のめいめいが最後まで希望の実現へと同じ熱意を示してください。12怠けものにならないで、信仰と忍耐によって約束を受け継ぐ人々に見習ってください。

   神の約束の実現

 13神がアブラハムにお約束になるとき、さして誓うべきより偉大なものがないので、御自らをさして誓い、14こう仰せでした、「きっとわたしはあなたの祝福に祝福を加え、あなたの子孫を増しに増す」と。15かくてアブラハムは忍耐したので約束のものを得ました。16そもそも人間はより偉大なものをさして誓います。そしてその誓いはすべての反論を止める保証になります。17それゆえ、神は約束を受けるものたちにご経綸の不変性をより明らかに示そうとのおぼしめしで、誓いによって保証なさいました。18それは神がお偽りになれない二つの不変のことによって、われらが強い励ましを受けるためです。われらは目の前に置かれている希望を捕えるために逃れてきたものです。19この希望をわれらは魂の確固不動の錨として持っています。それは幕の中へと入らせるものです。20そこへイエスはわれらのために先がけしてお入りになり、とこしえにメルキセデクに等しい大祭司におなりでした。

   永遠の大祭司メルキセデク

7章 1このメルキセデクはサレムの王、いと高き神の祭司で、王たちを打ち破って帰るアブラハムを迎えて祝福しました。2アブラハムは彼にすべての十分の一を分かちました。その名の意味はまず「義の王」、次に「サレムの王」、すなわち「平和の王」です。3彼は父なく、母なく、系図なく、齢に初めもなく、いのちの終わりもなく、神の子に似て、いつまでも祭司です。
 4彼がいかに偉大かをごらんなさい。彼に父祖アブラハムがいちばんよい分捕品の十分の一を分かったのです。5レビの子孫で祭司の務めを引き受けるものは、律法によって兄弟である民から十分の一をとるよう定められています。彼らが同じくアブラハムの腰の出であるにもかかわらずです。6しかし彼らの系図に属さない彼はアブラハムから十分の一を与えられ、約束を受けたもの(アブラハム)を祝福しました。7およそ反論の余地のないことですが、小さいものが大きいものから祝福されるのです。8また、一方死ぬべき人間が十分の一を受けていますが、他方「生きている」と証されたものが、それを受けています。9いうなれば、十分の一を受けるレビさえも、アブラハムを通じて十分の一を課せられたのです。10それは、メルキセデクがアブラハムを迎えたとき、彼(レビ)はまだこの父祖の腰にいたからです。

   レビにまさるもの

 11もし完成がレビ系の祭司職によるとすると--民はそれによって律法を与えられているのですが--何の必要があって、メルキセデクに等しくてアロンに等しいとはいわれない別の祭司が立てられるのですか。12祭司制が変われば必然的に律法の変更がおきます。13これらのことがいわれている人は、祭壇に仕えるものが出たことのない別の部族に属しています。14われらの主がユダからお出のことは明らかで、モーセはこの部族について、祭司たちのことは何もいいませんでした。15このことはメルキセデクに似た別の祭司が立てられればさらに明らかになります。16彼は肉のいましめの律法によらず、不滅のいのちの力によって立てられています。17聖書は証します、「なんじこそとこしえにメルキセデクに等しい祭司」と。18前のいましめはその弱さと無益のゆえに無効となります。19律法は何をも完成しえなかったからです。しかしよりすぐれた希望が現われ、それによってわれらは神に近づくのです。

   大祭司イエス

 20いかに大きなことが誓いをもってなされたことでしょう。祭司たちは誓いなしで立てられたのです。21しかし彼は誓いをもってです。彼について聖書はいいます、「主は誓われた。そしてそれを悔いたもうまい。なんじこそとこしえに祭司である」と。22このように、イエスはよりすぐれた契約の保証人とおなりです。23多くの人々が祭司になりますが、それは職にとどまることを死によって妨げられるからです。24しかし彼はとこしえにおとどまりで、不変の祭司職をお持ちです。25それゆえにこそ、彼は彼によって神に近づくものを永久にお救いになれるのです。彼はつねに生きて彼らを弁護なさいます。
 26このような大祭司こそわれらに向いています--敬虔、実直、純潔で罪びとから離れていて、もろもろの天よりも高くいます方です。27彼は大祭司らのようにまず自らの罪のため、次に民の罪のために日ごといけにえをささげる必要がありません。このことを彼はひとたび自らをささげることによってなしとげられたのです。28律法は弱さを持つ人間を大祭司にしました。しかし律法の後になされた誓いのことばは、とこしえに全うされたみ子を大祭司にしたのです。

   天の幕屋

8章 1ここでいわれたことの要点はこうです。われらはこのような大祭司を持ち、彼は天で大能者の右に座し2人間がでなく、主がお設けの真の幕屋である聖所でお仕えです。3すべて大祭司は供え物といけにえをささげるために立てられます。それゆえ、この大祭司もまた何かささげるべきものを持たねばなりません。
 4さて、もし彼が地上においででしたら、祭司ではなかったでしょう。律法に従って供え物をささげる祭司たちがあるからです。5彼らは天的な聖所のひな形に仕えているだけです。それは幕屋を立てようとしたモーセがお告げを受けたとおりです。それは、「気をつけて、すべてを山で示された型どおりに作れ」でした。6しかしイエスはよりすぐれた務めを得られたのです。それはよりよい約束によって定められたよりよい契約の仲保者とおなりだからです。

   聖書にもとづく契約

 7もしあの第一の契約に落度がなかったならば、その代わりに第二のを求める必要はなかったでしょう。8彼らを責めていわれています、「主はのたもう、『見よ、イスラエルの家とユダの家とに新しい契約を立てる日が来る』と。9『それはわたしが彼らの父祖たちの手をとってエジプトの地から導き出した日に、彼らとなした契約にはよらない。彼らはわが契約の中にとどまらず、わたしも彼らを顧みなかった』と主はのたもう。10『かの日の後にわたしがイスラエルの家に置こうとする契約はこれである』と主はのたもう。『わたしは彼らの思いにわが律法を与え、彼らの心にそれを書こう。そしてわたしは彼らの神となり、彼らはわが民となろう。11彼らはおのおのその同胞に、おのおのその兄弟に〝主を知れ〟と教えなくなろう。彼らは小から大に至るまで、すべてわたしを知ろうからである。12わたしは彼らの不義をあわれみ、彼らの罪を思い出すまい』」と。13新しい」といわれて、はじめの契約を古いとされたのです。古くなり老いたものはやがてなくなります。

   ふたつの幕屋

9章 1たしかにはじめの契約にも礼拝の規則とこの世的な聖所がありました。2すなわち、第一の幕屋が設けられ、そこには燭台と机と供えのパンとがありました。それが聖所と呼ばれたものです。3第二の幕の後に至聖所と呼ばれる幕屋がありました。4そこにはの香壇と、すっかり金でおおわれた契約の箱とがあり、その中にマナのはいっている金のつぼと芽を出したアロンの杖と契約の石板とがあり、5その上に栄光のケルビムがいて贖罪所をおおっていました。それについて、今はいちいち申せません。6これらがこのように備わってから、祭司たちはつねに第一の幕屋にはいって礼拝を行なうのですが、7第二の幕屋には大祭司だけが年にただ一度はいります。しかも自らと民との過ちのためにささげる血を持たずにではありません。8これによって聖霊が明らかにしているとおり、第一の幕屋が立っているかぎり、聖所への道はまだ開かれていません。9これは今の世に対してのたとえです。それによってささげられた供え物といけにえとは礼拝者の良心を全うできません。10それはたんに食物と飲物と種々な清めについてで、革正の時まで課せられた肉の規則にすぎません。

   キリストによるきよめ

 11キリストは来られました。人の手で造られず、この世の被造物でなく、よりよくより完全な幕屋を経て、来たるべきよいものの大祭司としてです。12彼は山羊や小牛の血によらず、ご自身の血でただ一度聖所におはいりになり、永遠のあがないを全うされました。13もし山羊や牡牛の血や雌牛の灰がそそがれて汚れた人々の肉体をきよめて聖化するならば、14まして永遠の霊によって自らを無きずのまま神におささげのキリストの血はわれらの良心をきよめて、死んだわざを去って生ける神に仕えるように向かわせるものです。15それでこそ彼は新しい契約の仲保者です。それは、はじめの契約の下に犯された罪のあがないのために死がなしとげられて、召された人々が永遠の世継ぎの約束を受けるためです。

   遺言の発効

 16遺言(という契約)は遺言者の死の確認が必要です。17遺言は死によって効力を生じ、遺言者が生きているうちは効力がありません。18したがってはじめの契約も血なしにはじまったのではありません。19すべてのいましめが律法どおりモーセによって民全体に告げられたとき、彼は水と赤い羊毛とヒソプとともに小牛と山羊との血をとって書きものと民全体にふりかけ、20「これは神があなた方とお立ての契約の血です」といいました。21そして幕屋と礼拝の器すべてにも同じように血をそそぎました。22そして律法によれば、ほとんどすべてが血によってきよめられ、血を流すことなしにゆるしはありえません。

   キリストのあがないの一回性

 23さて、天のもののがこれらによってきよめられるならば、天のもの自体はそれらよりすぐれたいけにえによってきよめられる必要があります。24キリストは真のもののひな形である手で作った聖所にではなくて、天そのものに入って、今やわれらのために神のみ顔の前に現われてくださいました。25大祭司が年ごとに他のものの血を持って聖所に入るようには、キリストはたびたび自らをおささげではありませんでした。26それならばキリストは、世のはじめからたびたびお苦しみになるはずでした。しかし今や自らのいけにえによって罪を除くために、世々の終わりにただ一度お現われでした。27およそ人はただ一度死に、その後に裁きがありますが、28そのようにキリストも多くの人々の罪を負うためにただ一度自らをおささげになり、二度目には自らを待ち受ける人々を救いに導くよう、罪を負うためでなくお現われになるでしょう。

   キリストといういけにえ

10章 1そもそも律法は来たるべきよいことの影を持つだけで、ことの像(すがた)自体を持ちません。それで、(律法によって)年ごとに絶えずささげるいけにえでは、み前に近づくものたちをけっして全うしえません。2もし全うしうるならば、礼拝するものは、一度清められて全く罪の意識がなくなりますから、いけにえをやめたはずではありませんか。3しかしこれらいけにえによってこそ年ごとに罪の記憶が生まれるのです。4牡牛や山羊の血は罪を除きえないからです。5それゆえ、彼はこの世に来られてこう仰せです、「なんじはいけにえとささげものを欲したまわず、体をばわがためにそなえたもうた。6燔祭や罪祭はお気に召さなかった。7そのときわたしはいった、『見よ、わたしは来た、聖書の巻物にわたしについて書かれているとおり、神よ、み心を行なうために』」と。8まず、「律法に従ってささげられるいけにえとささげものと燔祭と罪祭とをなんじは欲しも好みもしたまわなかった」とあり、9次に、「見よ、わたしはみ心を行なうために来た」とあります。彼は第二のものを立てるために第一のものを廃止なさるのです。10神のみ心に従ってわれらはただ一度のイエス・キリストの体というささげものによって清められています。

   ささげもの無用

 11すべて祭司は日ごと立って礼拝し、たびたび同じいけにえをささげますが、それらはけっして罪を除きえません。12しかし彼は罪のためにひとつのいけにえをささげて、とこしえに神の右に座し、13その後、彼の敵がみ足の台にされるまでお待ちです。14彼はひとつのささげものによって、聖められるものたちをとこしえに全うされました。15このことは聖霊もわれらに証します。まずいわく、16「『これはかの日の後にわが彼らと立てよう契約』と主はのたもう。わが律法を彼らの心に与え、それを彼らの思いに書きしるそう、17そしてもはや彼らの罪と不法を思い出すまい」とあります。18これらへのゆるしがある以上、もはや罪のためのささげものはありえません。

   聖所に入るものの責任

 19それで、兄弟たちよ、われらはイエスの血によって、はばからず聖所に入りえます。20それは彼の肉体である幕を経て、彼がわれらにお開きの新しい生きた道を通ってです。21そして神の家を治める偉大な祭司が、われらにあります。22われらは真実の心をもって、信仰にあふれてみ前に進みましょう。われらの心は悪い心がけからすすがれ、体は清い水で洗われています。23そして希望の告白を堅く保ちましょう、約束なさる方はまことにいましますから。24そして愛とよいわざに励むよう、互いに心がけましょう。25ある人々がいつもするように集まりを去ることをせずに、互いに励ましましょう。あなた方はかの日が近づくのを見るだけに、ますますそうしてください。

   入信後のそむき

 26もしわれらが真理の知識を受けた後、ことさらに罪を犯しているならば、もはや罪のためのいけにえは残りません。27残るものは裁きを、すなわち神に逆らうものを食いつくすをおそれつつ待つことだけです。28モーセの律法を無視するものが、二人か三人の証言によって容赦なく死に処せられるならば、29神の子を踏みつけ、自らが聖められた契約の血を汚れたものと考え、恩恵の霊をあなどるものは、どんなひどい罪に値するとお思いですか。30われらはこういわれた方を知っています、「復讐はわがもの、われが報いる」と。また、「主はその民を裁きたもう」と。31おそるべきは生ける神のみ手に落ちることです。

   回顧と待望

 32過ぎた日々を思い出してください。あのころあなた方は光を受けて苦しみの激しい戦いにお耐えでした。33あなた方は、あるいは侮辱と苦難の中にさらしものにされ、あるいはこのようにあしらわれた人々の仲間におなりでした。34じつに囚人とも苦しみを共になさり、あなた方の財産の没収をよろこびをもってお迎えでした。あなた方はよりよい永続的な持ちものがあることをご存じでした。35それで、あなた方の確信をお捨てのないように。それには大きな報いがあります。36あなた方が神のみ心を行なって約束のものを得るには忍耐が必要です。37聖書にあります、「もうほんのしばらくすれば、来たるべき方がお見えで、遅くおなりではあるまい。38信仰によりわが義人は生きよう。もししりごみするならば、わが心は彼をよろこばない」と。39しかしわれらはしりごみして滅びに至らず、信じて魂の保全に至るものです。

   信仰の本質

11章 1信仰は望むことの実体、見えぬものの証拠です。2信仰のゆえに昔の人々は確かな証人とされました。3信仰によってわれらは世界が神のことばで造られ、見えるものができたのは現実にあるものからではないことを悟るのです。

   アベル、エノク、ノア

 4信仰によってアベルはカインにまさるいけにえを神にささげ、そのゆえに義人と証明されました。神が彼の供え物をよみせられたからです。それゆえ、彼は死んでも今なお語っています。5信仰によってエノクは死を見ないよう移され、神がお移しなので彼は見えなくなりました。移される前に彼は神によろこばれることが証明されていたのです。6信仰なしでは神によろこばれえません。神に近づくものは、彼がいますことと彼を求めるものに報いたもうことを信ずべきだからです。7信仰によってノアはまだ見ぬことのお告げを受け、かしこまって家族の救いのために箱舟をつくり、それゆえに世を裁き、信仰による義の相続人となりました。

   アブラハムとその子たち

 8信仰によってアブラハムは継ぐべき所へ出てゆくよう召されたとき、それに従い、どこへ行くか知らずに出てゆきました。9信仰によって彼は約束の地よそものとして宿り、同じ約束を継ぐべきイサクヤコブとともに幕屋に住みました。10彼は土台のすわった都を待ちのぞんでいたのです。その施工者また造営者は神です。11信仰によってサラ自身も年が過ぎていたのに種を宿す力を受けました。約束なさった方がまことでありたもうと信じていたからです。12それで、ただひとりの、しかも死んだような人から天ののように、海べの無数の砂のように多くのものが生まれたのです。
 13信仰のうちにこれらの人々は死にました。彼らは約束のものを得ませんでしたが、はるかにそれらを見てよろこび、地上ではよそものまた旅びとと告白しました。14こういう人々はおのがふるさとを求めていることを示しています。15もし出て来た所を考えたのならば、そこに帰るおりがあったでしょう。16しかし実際彼らはよりよい、すなわち天にある国にあこがれているのです。それゆえ神は彼らの神と呼ばれることを恥となさいません。そして彼らに都をご用意でした。
 17信仰によって、アブラハムは試みにあったときイサクをささげました。約束を受けていたのに彼はひとり子をささげたのです。18すなわち、その子について、「イサクの出がなんじの子孫と呼ばれよう」といわれていたものでした。19彼は神に死人の中からよみがえらせる力がおありと信じていました。それで彼はイサクをふたたび得たのですが、それは復活のたとえでもあります。20信仰によって、イサクは来たるべきことについてヤコブとエサウを祝福しました。21信仰によって、ヤコブは死にぎわにヨセフの子をひとりひとり祝福し、杖の頭によりかかって礼拝しました。22信仰によって、ヨセフは臨終にイスラエルの子らの出エジプトを思い、自らの骨について指図しました。

   モーセ

 23信仰によって、モーセは生まれて三か月間、両親の隠すところとなりました。彼らは子が美しいのを見たのです。そして王の命令をおそれませんでした。24信仰によって、モーセは成人したときパロの王女の子といわれるのを拒み、25罪のはかない楽しみよりはむしろ神の民とともに苦しめられることを選び、26キリストのそしりをエジプトの宝にまさる富と考えました。それは彼が報いに目を向けていたからです。27信仰によって、彼は王の怒りをおそれずにエジプトを去りました。彼は見えぬ方を見るかのようにして耐えしのびました。28信仰によって、彼は過越と血のそそぎを行ないました。それは滅ぼすものが長子らに手を触れないためでした。29信仰によって、人々は紅海を乾いた地のように渡りましたが、エジプト人はそれを試みておぼれました。

   モーセ以後の人々

 30信仰によってエリコの城壁は七日間取り巻かれて落ちました。31信仰によって遊女ラハブはスパイを平和に迎えたので、不従順な人々とともには滅びませんでした。
 32このうえ何を申しましょう。ギデオン、バラク、サムソン、エフタ、ダビデとサムエルそして預言者たちについて語るには時間が足りますまい。33彼らは信仰によって国々を征服し、義を実践し、約束のものを受け獅子の口をふさぎ、34火の力を消し、剣の刃をのがれ、弱さから強められ、戦いに雄々しくなって他国の軍を打ち破りました。35女性は死別した人々を復活させてもらい、他の人々はよりよい復活を得るために、ゆるしを願わずに拷問されました。36また他の人々はあざけりと笞打ち、さらに逮捕と投獄を経験しました。37彼らは石打ちされ、さいなまれ、で引かれ、剣で切り殺され、羊の皮や山羊の皮を着てさまよい、無一物になり、悩まされ、苦しめられました。38この世は彼らに値しなかったのです。彼らは荒野と山々とほら穴と地のくぼみをさまよっていました。39彼らはみな信仰によって確かな証人とされましたが、約束のものを受けませんでした。40神はわれらのためによりよいものをお備えです。それはわれらをさしおいて彼らが全うされることがないためです。

   十字架としつけ

12章 1それゆえわれらも、このような雲なす証人たちに囲まれていますから、すべてのからみつく邪魔物と罪とを捨て、忍耐をもってわれらの前に置かれた走り場を走りましょう。2信仰の手ほどきまた仕上げをなさるイエスを仰ぎ見て走りましょう。彼は、自らの前に置かれたよろこびの代わりに、恥をいとわず十字架を忍び、神のみ座の右におすわりでした3お考えなさい、あなた方が心疲れてくじけないように、罪びとらによって自らに向けられたこのような反抗をお忍びの方のことを。4あなた方は罪に向かって戦いつつ血を流すまで抵抗したことはまだありません。5あなた方は子たちへのように語られた勧めをお忘れです。そのことばはこうです、「わが子よ、主のしつけを軽んずるな、主にこらしめられてくじけるな。6主は愛するものをしつけ、受け入れる子をみな笞打ちたもうゆえに」と。7しつけのためにお忍びなさい。神はあなた方を子としてお扱いです。父がしつけない子がありますか8だれでも受けるはずのしつけがあなた方にないならば、あなた方は私生児であって、実子ではありません。9さらに、われらにしつけ手である肉の父があって尊敬したのならば、ましてわれらは霊の父に従って生きようとしないわけがないでしょう。10肉の父は短い間、自らの考えでしつけましたが、霊の父はわれらを益して彼の聖さにあずかるようになさいます。11しつけはすベて、その時にはよろこびでなく悲しみに見えますが、後にはそれで練られたもの義の平和な実を与えます。

   平和と聖さへの勧め

 12それゆえ、無力の手と弱った膝とをまっすぐにし、13足にまっすぐな道をそなえなさい。それは足なえが踏みはずさず、むしろいやされるためです。14すべての人との平和聖さとを求めなさい。聖さなしにはだれも主を見ることができますまい。15心がけて、だれも神の恵みからもれないように、にがい根が生えて悩まし、それによって多くの人々が汚されないようになさい。16一杯の食のために自らの長子権を売ったエサウのように不身持ちな俗物にならないようになさい。17ご承知のように、彼は後になって祝福を継ごうと願いつつも拒否されました。彼は涙をもって求めても悔い改めのおりを得なかったのです。

   新約の仲保者

 18あなた方が近づいたのは、手で触れうるにではありません。そこには火が燃え、黒雲、暗闇、竜巻きがあり、19ラッパの音や、聞き手がひとことも加えられたくないと思ったことばのひびきがありました。20彼らは「獣でも山に触れれば石で打ち殺されよう」と命ぜられたことに堪えなかったのです。21その光景があまりおそろしかったので、モーセはいいました、「わたしはおそれおののきました」と。22あなた方が近づいたのは、シオンの山、生ける神の都、天のエルサレム、何万という天使の会合、23天にしるされた 長子たちの集会、すべてのものの裁き主なる神、全うされた義人の霊、24新しい契約仲保者イエス、アベルの血にまさって強く語るそそがれた血です。

   震われぬ国

 25語りたもうものを拒まないよう気をおつけなさい。もしみ旨を告げる方を拒んだものが地上で逃れえなかったならば、天から語りたもう方を拒むわれらはなおさらです。26かつてそのみ声は地を震わせましたが、今はお約束でした、「もう一度わたしは地ばかりでなく、天をも震わせよう」と。27「もう一度」とは、造られたものが震われて除かれることを意味します。それは震われないものが残るためです。28かくて、われらは震われぬ国を受けたのですから、感謝をいだき、かしこみおそれて、神のよろこばれるよう奉仕しましょう。29われらの神は焼き尽くす火にいまします。

   兄弟愛

13章 1兄弟愛が保たれますように。2旅びとのもてなしをお忘れなく。このことにより、ある人々はそれと知らずに天使たちをもてなしました。3捕われの人々を共に捕われたものとして、苦しめられている人々を自らも肉体にあるものとして、思いやってください。4すべての人に結婚は尊いもの、ふしどは清らかであるべきです。神は不身持ちや姦淫のものを裁きたまいます。5生活では金銭欲を避け、持ちもので満足なさい。神ご自身いわれました、「わたしはけっしてあなたを離れず、またあなたを見捨てない」と。6それでわれらはあえていえます、「主はわが助け手、わたしはおそれまい、人間がわたしに何をしえよう」と。

   たたえのいけにえ

 7あなた方の指導者を思ってください。神のことばをあなた方に語ったのは彼らです。彼らの活動の成果を見てその信仰にならいなさい。8イエス・キリストはきのうもきょうもとこしえに同じ方です。9さまざまな異なった教えに迷わされないでください。食物によらず、恵みによって心が強められるのはよいことです。食物によって歩んだ人々は益を得ませんでした。10われらにも祭壇がありますが、幕屋で礼拝するものはその食物を食べる権利がありません。11なぜなら、大祭司によって罪の清めのために獣の血が聖所の中に運ばれますが、その体は陣営の外で焼かれます。12それゆえイエスも、自らの血で民を聖めるために、門の外でお苦しみでした。13それで、われらも彼の恥を負って陣営の外で彼のところへ行きましょう。14われらはこの地上に永遠の都を持たず、来たるべき都をば求めているのです。15彼によってわれらはたたえのいけにえを絶えず神にささげましょう。それは、彼のみ名をたたえるくちびるの実です。16善い行ないと施しをお忘れなく。神はこのようないけにえをおよろこびです。17あなた方の指導者に従い服しなさい。彼らは神への弁明者としてあなた方の魂を見守っています。彼らが嘆かずに、よろこびをもってこのことをするようになさい。さもないと、あなた方に益しません。

   むすび

 18われらのために祈ってください。われらは正しい良心を持つと信じ、何につけても正しくふるまいたく思っています。19わたしがあなた方のところへなるべく早く戻されるよう、とくにお祈りのほどお願いします。
 20永遠の契約の血によって羊の大牧者、われらの主イエスを死人の中からお起こしになった平和の神が21あなた方をすべてのよいことにおいて全うしてみ心を行ないうるようにし、イエス・キリストによってわれらの間にみ心にかなうことを行なわせたまいますように。栄光が世々とこしえに彼にありますように。アーメン。
 22兄弟たちよ、勧めのことばをお受けのようお願いします。結局、手短にお書きしたのですから。23われらの兄弟テモテが釈放されたことをお知らせします。もし彼が早く来れば、わたしは彼とともにあなた方にお会いしましょう。
 24あなた方の指導者の皆さんと聖徒の皆さんによろしく。イタリアからの人々があなた方によろしく申しています。
 25恩恵があなた方皆さんとともにありますように。