下って来る天国

ふつう天国といいますと,天の彼方にあって苦しみのない理想郷であり,死者の霊が上って行くところと考えられています.聖書もキリストが死後復活して昇天されたと申します(使徒1:9使徒1:9 こういいつつ彼らの見ているうちに高められ、雲が彼を迎えて彼らの目から離した。など ).

しかし,この世が終わってすべてが完成するときの情景につきましては,聖書には地が天に上ってゆくのではなくて,天のほうが地に下りて来るとあります.救い主も文字どおり再臨,すなわちこの地上に再び臨むために天から下って来られるのです(Ⅰテサ4:16Ⅰテサ4:16 主ご自身、合図とともに、すなわち天使長の声と神のラッパによって、天からお降りでしょう。そしてキリストにある死人がまずよみがえりましょう。 ).新しい天と地が完成するとき,聖なる都が神のところから下って来るともいわれます(黙示21:2黙示21:2 そして聖なる都、新しいエルサレムが、神のみもとを出て天から下るのを見た。それは夫のために着飾った花よめのように身仕度している。 ).

これは罪あるものが地上で苦しんでいるのを救うために罪のない神の子が天から地に下って来られたということと結びついています(ヨハ6:38ヨハ6:38 それは、わたしが天から下ったのは、わが心をでなく、わたしをつかわされた方のみ心を行なうためであるから。など ).

 神の子が自らを低くして罪ある人に愛の奉仕をし,ついに最も低い奴隷の姿で十字架上に命を終わられたこと,その彼を神は地の中から復活させて天に召し,栄光の神の子とされたこと,彼が再び地上に臨んで来られることが,すべての人の救いのためすなわち人が彼を中心として神のもとに招かれるためであり,このような救いの角度から聖書は天と地,来世と現世,永遠と一時などのことを説明しているといえます.それは十字架なしの単なる理想郷とは違います.われらが苦しんでどん底に落ちたとき,天から訪れてくださったキリストに救われ,天から下り来る神の国に招かれるよろこびを与えられますと,このようなキリストの来臨によって神の国がはじまりつつあること,新しい創造の時が訪れつつあることがわかると思います.