キリストの花嫁

 聖書は父なる神のことをいい,異教とくに偶像教の母神や女神とちがって男性的な全知全能の神を示しています.神の子キリストもナザレのイエスという男性です.そうしますと,人が神にかたどって創造され(創1:27創1:27 神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された。(新共同訳) ),人の犯した罪のゆえにそれが破れてもキリストが神の像であり(コロ1:15コロ1:15 彼は見えぬ神の像であり、すべての被造物に先立ってお生まれの方です。 ),人はキリストの栄光の体にかたどられる(ピリ3:21ピリ3:21 彼はわれらのいやしい体を変えて、彼の栄光の体と同じ形になさるでしょう。それは彼が万物を彼に従わせえたもうという、その力によってです。 )とありますので,みんなが救われると男性的になるようにも見えます.

 しかし,救われるものはおとめとしてキリストの婚約者にされた(Ⅱコリ11:2Ⅱコリ11:2 わたしは神の熱意をもってあなた方に熱意をいだき、あなた方をキリストにささげるため、清いおとめとしてただひとりの夫である彼にいいなずけしました。 )ともあり,信徒は小羊にたとえられるキリストの花嫁になるともいわれています(黙示19:7以下黙示19:7以下 7いざ、よろこび、歓呼し、栄光を彼にささげよう。小羊の結婚は成り、花よめは身仕度をし終えた。8彼女は輝く清い麻布を着せられた。麻布は聖徒らの正しい行ないである」と。21:9以下黙示21:9 七つの最後のわざわいで満ちた七つの鉢を持つ七人の天使のひとりが来て、わたしに話しかけた。いわく、「来なさい、小羊の妻である花よめを見せよう」と。 など).律法の義務からの解放について夫から妻が解放されるたとえがありますことも(ローマ7:1以下ロマ7:1以下 1それとも、ご存じありませんか、兄弟たちよ、わたしは律法を知る人々に申しますが、律法は人が生きている間だけ人を支配します。2すなわち、とついだ女は夫が生きている間は律法によって彼に結ばれていますが、夫が死ねば、夫の律法から解放されます。3したがって、夫が生きている間に、ほかの男に行けば悪女と呼ばれますが、夫が死ねば、その律法から自由なので、ほかの男のものになっても悪女にはなりません。4それゆえ、わが兄弟たちよ、キリストの体によってあなた方も律法に対して殺されたのです。これはあなた方がほかのもの、すなわち死人の中から復活された方のものになって、われらが神に対して実るためです。5それは、われらが肉にあったときには、律法による罪の欲情が肢体の中にはたらいて、われらが死への実りをしたからです。6今や縛られていた律法に対して死んで、律法から解放されたので、われらは古い文字によらず、新しい霊によって神に仕えるのです。 )この関連で想起されます.旧約にも神が夫で民が妻といわれるところが見られます(エレ31:32エレ31:32 この契約はわたしが彼らの先祖をその手をとってエジプトの地から導き出した日に立てたようなものではない。わたしは彼らの夫であったのだが、彼らはそのわたしの契約を破ったと主は言われる(口語訳) ).

 これらは皆たとえなのですが,そこに深い真理が隠されています.信徒が女性とされるわけとしては受容性がそのひとつといえましょう.自力でなく神の愛を受けて,神の子とともにその国の実現に協力させていただく光栄とよろこびを知るものにはこのことがわかると思います.いわゆる男性女性という人間臭の強い事柄ではありません.救われて復活するものはめとらず嫁がずの天使のようになる(マタ22:30マタ22:30 復活に際してはめとりもとつぎもせず、天のみ使いのようである。 )というイエスのことばは偉大です.それゆえに,信徒が神の子のごとくされて彼のように神の像になって新しい創造が完成されることがわかると思います.