教育と外交との共通性

 親としてまたは教師として若い人々に知識や技能を授けるのが教育ですが,家庭でも学校でも教えるものと教えられるものとがいっしょになって学ぶ姿勢がなければいい教育はできません.年長者として経験を積んだ人がその経験を分ける意味で説明をし,若い人々の相談相手になるのが本筋です.童心には大人の及ばない純真さがありますから,その場合教えられるのは大人です.老いては子に従えとは老いる前から学んでおくべきことです.よく世代の断絶といわれますが,老若が愛をもって互いに学ぶとき心のふれあいが与えられるのではありますまいか.

 外交は互いに知らない国の人々が代表者によって平和のうちにいろいろな事柄を相談して処理することですが,国と国との間には言語,思想,風習,人種,経済等の断絶があります.問題が起こるのは欲望のためばかりでなく,互いが互いを知らない場合が多いのです.互いに相手から学ぶ姿勢をとり,愛と忍耐をもって共同してある問題と取り組むときに解決の方向が示されるものです.力による圧迫でなく愛が解決の鍵です.

 このように考えますと,教育と外交には異質的なものどうしの人格関係のことという共通性が見られます.そして両者が平和のうちに行われるためには契約という聖書の示す神中心の永遠不変の人格関係に根本原則を置くのが最善であるといわざるをえません.特にイエスによって示される新しい契約という愛の極致こそ教育と外交の本筋を示すものです.人間にそれは不可能ですが,それを成就された救い主の名によって神がそれを可能になさるよう祈り求めようではありませんか.