ドーナッツの穴

 アメリカである友人からこんな話を聞きました.普通の人は空腹のときなどにドーナッツを見ればよろこぶものですが,その外人の知合いにドーナッツは穴があいていてけしからんと不平をいう人があるそうです.ドーナッツは穴のあるおかげで表面積がふえて油や甘味がよく行きわたるのに,穴という空虚な所が気になるのでしょうか.

 ちなみに,アメリカにはドーナッツの穴 doughnut's hole という名のお菓子もあります.ピンポン玉ぐらいの大きさで,ドーナッツと同じ味がします.

 さて,ドーナッツの穴に限らず,びんの半ばまで水が入っている場合,水がこれだけあるといってよろこぶ人と,これだけしかないといってつぶやく人とがあります.物事に限らず,他人の穴についてあれこれいう人のなんと多いことでしょう.自分についても,健康,能力,財産等について穴だらけだと不平や愚痴の絶えない人がおおぜいいます.

自らの罪に苦しみ,暗い死の影におびえて,罪のない救世主の血による贖いを体験するものは,新しい命へ導かれるよろこびに満たされるものです.すべてのものの価値が肯定的建設的に受けとめられて,感謝がわいてきます.苦しみも救世主の苦しみを分け与えられたというよろこびの源泉になります.そして,罪を悔いつつも,罪をゆるされるよろこびのゆえにこの世に生まれたことを感謝しうると思います.罪だらけの自分もドーナッツの穴のように,油や甘味のゆきわたるため創造主によって用いられているのではないでしょうか,罪が増すと恩恵が増すこと(ローマ5:20ロマ5:20 律法が入ってきたのは過ちが増すためです。しかし、罪が増すところ恩恵が満ちあふれました。 )をあらためて考えたく思います.