生命の香り |
“飛行機は何時落ちるかわかりませんし,落ちた時のことを思っていつも香水の小さな壜を制服のポケットに入れています.体が木っ葉みじんになれば壜も一緒に割れて,香りが体を少しなりと覆ってくれるでしょう”――あるスチュアデスがこういっていました.大和撫子の身だしなみといいましょうか.出来るならいつも陸の上で働きたいけれど,病身の貧しい母親を助けるためにはげしい機上勤務をつづけているという彼女のことばを忘れ難く思います. 飛行機にのらなくても,都会に住むものがいつも交通事故の危険にさらされていることはいうまでもありませんが,畑のあぜ道を歩いていても横からスクーターが飛出して来るこの頃ですから,文明の存在するところ危険ありです.天災地変のことは申すまでもありません.われわれの体はその時どうなるのでしょうか. 体のことばかりではありません.霊はどうなるのでしょうか.この人ならばと思っても信頼を裏切られたり,自らの罪に責められたりしますと,血が体の内を逆に流れるといいましょうか,どうにもならない状態に追い込まれます.思いがけず苦しめられた時,即ち精神の事故に会って支難滅裂のとき,“キリストを知る知識の香り”というパウロのことばが思い浮かびます(Ⅱコリ2:14Ⅱコリ2:14 しかし神に感謝します。神はつねにわれらをキリストにあって勝利の列に加え、いたるところでわれらを通じて彼の知識の香りをひろめたまいます。).罪なくして苦難の死をとげ,死に打勝たれた方を知ることの何と香り高く何と清新の気を与えてくれることでしょう.死を前にした彼にそそがれた香油の香りが家に満ちたという記事も思い出されます(ヨハ12:3ヨハ12:3 マリヤはというと、純粋で高価なナルドの香油一リトラをイエスのみ足にぬり、髪でそれをふいた。家は香油のかおりに満たされた。).キリストがわれらを愛して自ら香り豊かな捧げものになって下さったといわれます(エペ5:2エペ5:2 そして愛に歩んでください。ちょうどキリストもあなた方を愛して、われらのために自らを神へのよい香りの供え物またいけにえとしておささげになったように。).霊も肉もどんなにみじめになろうとも,結局は予言者の夢が実現して(エゼ20:41エゼ20:41 わたしは、宥めの香りと共に、お前たちを受け入れる。わたしが諸国の民の中から連れ出し、散らされていた国々から集めるとき、わたしは諸国民の前で、お前たちに自分を聖なる者として示す。(新共同訳)),救われるわれらが神の前に香りとなり得るという希望が与えられるではありませんか. |