隠れた光 |
若き日にひとり聖書を学ぶ機会を与えられ,戦中戦後外国にいながら何とか生きのび,淋しいと思ったことがなかったなど数知れぬ恵みを受けましたが,聖書を学ぶことが機縁となって多くの良い先輩友人が出来て色々教えられることも大きな励ましです. こんなことがあります.停年で大学教授をやめた某博士は大企業から有利な条件で迎えられる話がいくつかあったのを全部断って,それらとは比較にならぬ待遇で或る学校に勤めて若い学生の指導に当たられることになりました.今一人の某博士は中堅の学者です.研究費の豊富な或る地位にありながら,大学の新設講座に使命を感じて一教授として着任し,切りつめた生活環境のうちに新しい一歩をはじめました. こうしたことは世の中では目立ちませんし,いわゆるキリスト教徒にもあまり知られません.宗教家はむしろ宗教行事を重視してそれに熱心な人々を神に近いとし,自分自身その頭になって神の次に立つか事実上神の座につきやすいものですが,ここに挙げた二人の学徒は形としての宗教と無関係です.しかし若き日から聖書を学び,それが生活全体の方向を変えたことは事実です.そこに聖書に示される神の力のはたらきがあったことは否定出来ません. このような隠れたひかりがわたくしの知るだけでもまだ他に沢山あります.この世的には不利な道へ追いやられても,そこに大きな幸福があり,彼らが何と感謝と喜びに満ちていることでしょう.またそこに真の交わりがあり,若き友への黙々とした証しの何と希望に満ちていることでしょう.天国は来りつつあり,われらに与えられるエクレシアの或る面が示されるように思います. |