活力の次元

 生を受けてからの人間の歩みを一つの線にたとえることが出来ます.たとえ病床に釘づけにされても生命がある限り人生は或る方向へ進む動的な線です.点という静止の状態は死を意味します.

 しかし,ただ自分だけが線を描く生き方ならば動植物と変りありません.人間らしい生き方は他の人々を思い,彼らと協力し,彼らに奉仕しようというところにはじまります.これを他の人々の描く線とともに平面を描いてゆく人生ということが出来ます.この人生が段々発展し,組織されて社会が作られるのですが,そこに何と複雑な平面が多いことでしよう.線と線とが衝突したり,からみ合ったりするかと思えば,当然協力すべき二つの線がいつまでも平行していたりします.或いは全く平面を成さない没交渉のこともあります.

 これらの場合に,平面に愛憎をつかして死という点に帰ろうとする人もあり,立体を求める人も出て来ます.この世という平面から逃れて自分の安住の境地を色々な形で求めている人は無数です.疲れ果てて一人線をたどる淋しい姿も見受けます.

 聖書はこの世以外の見えざる世界を指し示すことでは多くの思想と共通に立体的ですが,根本的に違うところがあります.それは人間性の弱さを根本問題にしていることです.人間の弱さを自ら背負って十字架の死をとげた救世主によって解決の道が与えられると教えますが,それは人間が自らの力で線や平面や立体を描く力がなく,人からも自分からも捨てられた点の状態に陥ったときに,イエスを通じて全く別の次元から与えられる活力です.聖霊とはそれです,少しでも自分の力に頼れると思う人には聖書は縁遠いといわざるを得ません.