終戦の日に寄せて |
20年前の8月にわたくしはスイスのジュネーブにおりました.レマン湖畔で終戦の報せに接しましたわたくしの心は,バビロンの川のほとりでシオンを思って涙した詩人の心(詩137)でした. その頃のヨーロッパ人の多くは,とに角戦争が終わったという安心と原子爆弾の恐怖とが入交った感じを持っていました.戦争の終り頃イギリス南部がV2という超音速の無人ロケットに襲撃されていましたが,それに原子力が用いられたら大変なことになるという切実な心配でした.何はともあれ平和を,という当時の輿論が今日も強いわけです. また,スイス人にはも一つ別の気持ちがありました.周囲の国々が戦争で苦しんだのに中立を保ち得た感謝と,このまま黙っていては相済まないという一種の不安です.国際赤十字その他の援護団体を充実するとともに,“スイス寄金”という新しい強力な組織を設けて国民の大多数が苦しむ隣人を助けようという運動に参与しました,この根底に中立への感謝と中立であり得なかった人々への隣人愛があります. この感謝と隣人愛は,形も内容も変わりますが,戦後の欧米のキリスト教徒によって,いわゆる低開発国の人々に対して実践されつつあるといえます. 東南アジアは勿論,大陸の国々に対して,日本人が福音的な隣人愛に目ざめたならばと思います.罪をゆるされて捧げものをする喜びこそ20年の平和を賜わったことへの感謝をより具体的な形にするでしょう.暗雲ただよう現代に持ち得る希望はただキリストの福音によってのみ与えられることがこの角度からもわかると思います. |