恩恵具体化の一面 |
わたくしが帰国して間もなく色々な所で聖書の講義をしましたが,相当な年輩の人もノートを取るなどの熱心振りに大いに励まされたものです.しかしその後何年かしまして,嫉みによる中傷か何かが原因らしく,疎遠にする人もありました.中にはわたくしの親しい友人をわたくしから遠ざけようとした人もありました.わたくしの気付かない場合はもっと多いようです. わたくしだけそうした誤解を我慢すればいいこともあり,一方の頬を打たれれば他方をというイエスの教え(マタ5:39マタ5:39 しかしわたしはあなた方にいう、悪者にさからうな。あなたの右の頬を打つものには、ほかの頬をも向けよ。 )の意味が少しわかったり,日本的な迫害の類型を見せて貰ったりしますが,多くの場合このような人たちは他の人たちの頬も同じ手口で打ちますので,逆に打返されて散々な目にあっているようです.本人に自覚症状がなくても不幸の徴候が明らかなこともあります. “多くの涙をもって手紙を書いた”パウロ(Ⅱコリ2:4Ⅱコリ2:4 大きな苦しみと心の痛みとから、多くの涙の中に手紙をお書きしました。それはあなた方を悲しませるためではなく、わたしがあなた方に対してあふれるばかり抱いている愛を知ってもらうためでした。 )が,“そのような人(トラブル・メーカー)には多勢からの非難で十分です.あなた方は逆にむしろゆるして慰さめなさい,そのような人が取り返しようのない悲しみに陥らないために”(同6節以下Ⅱコリ2:6以下 6そのような人には、多数の人からのあの制裁で十分です。7それで、逆にあなた方はそのような人をむしろゆるし、慰めて、その人が度を過ごした悲しみに落ち込まないようになさい。 )というのが思い出されます. こうした苦しみを度々体験しますと,同じ苦しみの中にある人とともに新しい交わりを与えられて,共に“そのような人たち”のために祈ることも出来ます.そうして,何時か和解の与えられる希望も増して来ます.キリストを信じ,彼の御名によって祈ることがどんな恩恵であるかがこうした具体的なことによって教えられると思います. |