せせらぎ |
或る日曜の朝のことです.聖書の勉強への道すがらに,いつも通る小川を見ますと,前には目だかのいた流れも,この頃は住宅が急にふえたためでしょうか,随分よごれて来た上に,つゆ時のために水量も増して渦きをなす濁流になっていました. それから何分かして,集りが始まってから気がついたのですが,静かな会場のすぐ下から聞えて来る小川のせせらぎだけはきれいなものでした.この頃は小鳥の数も減りましたが,せせらぎがそのさえずりと一緒になって讃美歌の伴奏をしてくれるようにも思えました. 見れば濁流でも聞けばせせらぎということはわれらの祈りをもまた信仰生活全体をも説明してくれるのではないでしょうか.われらの心や体がどんなに汚れていても,神はそれを見たまわず,神の子の御名によって祈るときにその祈りを聞きたまいます,祈りの声が乱れていても,ことばが拙なくても,御名のゆえに祈りを聞きたまいます.日々の生活がどんなに律法にそむいていても,罪なき神の子の執成しによって神は救いの道を備えたもうがゆえに.たとえ祈りの声が出なくなっても神の側からわれらの祈りをさぐり出して下さるでしょう. 神は目に見える偶像にいまさず,見えずして語りたもうお方にいますので,罪の汚れを見ずして隠れた所で祈りを聞きたもうのであるとも思います. 神の国の完成はイエスによって始まっています.何時かわれらのすべての罪がなくなって清い存在になり,罪の結果である死の汚れからも解放されて永遠の生命を賜わるでしょう.そのときすべての流れに清らかな水が満ちるでしょう. |