しばらくの二方向

 太平洋戦争が始まった翌年の夏です.ドイツにおりましたわたくしは,大学の教授たちが時局を悲観しはじめたばかりでなく,戦線の軍務から休暇で帰って来るドイツ人の親友たちから容易ならぬ戦況を打明けられまして,日本人として何とかせねばと思いました.夏になると中立国のスイスへ勉強に行けましたのでそこで英仏語の資料による判断も出来ましたが,当時在欧中の日本人の間ではナチス系の情報が圧倒的でしたので,同年秋東欧へ旅行したとき機会をとらえて意見をのべる位がせいぜいでした.わたくしは枢軸国から来た日本人で最初の時局批判をしたといわれたそうです.日本では大本営発表が華やかであった頃です.

 先の暗いことを知りながらそれが伝わらず,伝えてもどうにもならないのは悲しいことでした.皆ともに審かれるであろうとのおそれも,ひとり異境にある身を苦しめました.しかし,罪のゆるしの福音によって生かされ,希望をもって勉強をつづけることが出来ました.この世的には有利な誘惑もいろいろありましたが,日本で生れ日本で育ったことを思いながらときの来るのを待っていました.

 似たことをこの頃も感じます.国の内外を見ますと,この先どうなるかわかりません.わたくしなりに出来るだけ事実を指摘しつつも,目先の効果をねらわず若き世代に望みをかけて黙々と働かざるを得ません.

 現実の批判と,未来への希望という二方向はこの世的には割切れませんが,神の国の次元からゆるされるでしょう.世を捨てるのではなく,しばらくの後に神の国の完成が約束されていることを信じた初代の信徒の勝利の秘義がここにあります.イエスは御国が来ていないがゆえに御国を来らせ給えと祈ることを教えられたのでした.彼を信じ得ることのさいわいをしみじみと思います.