真理への指示 |
普通の会話で人間の体の諸部分やそれらを連想させるものに触れないのが常識です.しかし近代医学は人体を研究対象とし,神聖な死体を解剖するなどまでして病気の克服に貢献して来ました.患者の病歴などの諸事実があつめられ,分類されて学問的な成果を生んだことの意味は大きなものです.お金のことを口に上せるのも不愉快であり,そこに話題を持って行かないようにするのは教育的にもいいことですが,近代の社会科学は経済を研究対象として数字や統計を用いて人間生活の平等化社会化に貢献して来ました. 外側からだけ診察する古代の医術や大福帳の経済が恐ろしい弊害を生んだのに対して,人間の体や財力が学的に研究されて文化が進んで来たといえましょう. いわゆる宗教はどうでしょうか.宗教家のボス的な独断や闇から闇に葬り去られる秘密の行事や信者を陶酔に導く教説などを資料として学的な分析が近代に行なわれて来ました「神殿に巣食う祭司を批判して律法の精神を明らかにした予言者たちや,その律法の成就を目ざしたイエスのことが書いてある聖書の教えは,こうした学的分析が進展すればするだけ真価を発揮します.学問に頼るのではありません.丁度医学に頼るだけでは健康は得られず,経済学を習得しても富めないのと同じで,学問は信仰を与えません.しかし冷静な客観的な方法で明らかにされて紹介される聖書の真理は有力な下地を信仰生活に与えます.ヨセフとマリアの家庭で聖書を学び,時の宗教家と対決された救い主の姿を思いつつ,謙虚に聖書の本文に親しむものには,形は人目に貧しくても,永遠の真理を指示する何ものかが与えられることを歴史は示しています. |