与えること

 ある裕福な人が長年の体験の結果として,寄附にせよ何にせよ人にものを与えないようにした,といっていました.一度与えれば次にもっと貰えようと思わせる,少なく与えた人に劣等感を起させる,与えられた人が負債を持ったことになるので自分を敬遠する,あの人の所へ行けば何とかなるというその顔つきが気にくわない,など一応もっともな理由を挙げていました.子供の教育の場合など与えるばかりが能でないことは明らかですし,奨学金を貰った学生が自動車を乗り回して,その奨学金のための書類を作ってくれた先生を流し目に見て追い抜いて行くなど,現代の世相を物語る諸事実があります.日本に招かれたアジアの学徒が皆親日家になったわけではなく,中には知日派反日派も出来た戦前のことも思い出されます,ことは経済に止らず,すべて人に施した親切がどうなるか,という問題に関連して来ます.

 しかし,聖書がいうところは明白です.旧約はしいたげられたヘブライ人の間に見えざる神を中心とする隣人愛が実践されて律法が発達したこと,それが一部の人に占有されると予言者が義と公平の社会倫理を説いたことをいいます.新約はもっと徹底した形でそれを示します.人は救いを与えようとした神の子を殺してしまったにも拘らず,神は彼を復活させて人に新しい生命を与えたもうがゆえに,その与え給うものとともに歩ませていただくところに救いのしるしが示される,といいます.人からの報いを期待せず,人からどんなに思われようとも人に与え,天に,すなわち神のところに宝を積むことに真の幸福があると山上の垂訓で教えられています.ここに現代社会の,特に日本のアジアに対しての明確な指導原理があるといえましょう.