ダンスに学ぶ |
わたくしはダンスをしませんし,若い頃十数年を欧米で過しました経験からもダンスをしなかったのでいい意味での社交の温かさに触れ得たように思います.しかしこんな思い出もあります,スイスを旅行していた夏の休暇の夕べです.ルツェルンでしたか,湖畔の小さなホテルの広間で食後のひとときを過していますと,アルプス趣味豊かな音楽が始まり,それに合わせて多くの泊り客がダンスを始めました.男性が女性の席へ行って丁重にダンスを求め,それに応諾する女性を男性がリードしてステップを踏み,女性はそれに従い,音楽が終ると男性が女性を元の席へ送って坐らせてから有難うといって一休みになります.当り前のことですが,ここに中世以来発達したヨーロッパの男性女性の関係が表現されています.このような美と諧調のうちに,人間の協力の姿が描かれているといえましょう.もしも逆に女性の方から働きかけてリードし,男性がおろおろ従って行ったら正視するに忍びますまい. 戦後の片寄った数育のためでしょうか,男女共学は混学と化し,同権は同形と誤解され勝ちなのは困ったことです.封建的なものへの反動ともいえましょうが男女の悪平等が社会的にも個人的にも不幸を生んでいることは否定出来ますまい. 再びダンスを例にしますと,女性に諾否の自由はあります.そのセンスが必要です.そして,応諾したら男性の誘導に従うところに諧調が生れます. 結局キリストが信徒の集りのかしらであるように夫は妻のかしらであり(エペ5:23エペ5:23 キリストが集まりの頭であり、彼こそその体の救い主であるように、夫は妻の頭です。 ),信徒は共に一体となってキリストの婚約者にされていて(Ⅱコリ11:2Ⅱコリ11:2 わたしは神の熱意をもってあなた方に熱意をいだき、あなた方をキリストにささげるため、清いおとめとしてただひとりの夫である彼にいいなずけしました。 ),彼にリードされつつ神の宇宙経倫という諧調のある律動に乗って彼の花嫁になるところに救いがある(黙示21:9黙示21:9 七つの最後のわざわいで満ちた七つの鉢を持つ七人の天使のひとりが来て、わたしに話しかけた。いわく、「来なさい、小羊の妻である花よめを見せよう」と。 )と聖書にいわれる通りです. |