三つのネクタイ |
もう三つとも十数年前にさかのぼることです.夏休みの勉強を放り出してお手伝いしたお礼に或る先生がネクタイを下さいました.この頃少し色あせて来ましたが,先生お見立ての柄は中々味がありますし,時々使って当時の思い出を新にするのが楽しみです. 今一つのは在欧中或る友人からクリスマスに贈られたものです.その外人の期待を裏切ってわたくしは日本へ帰り,その後数年してその人は病死したという悲しいしらせを受けました.しかし時々ヨーロッパへ行ってその遺族から親切にされますと,すべての罪がゆるされて来世で再会出来る希望が与えられます. もう一つのは私が教えた若い友人からの感謝のしるしでしたが,その人はわたくしにつまずいて以来音沙汰なしになりました.そのネクタイを見てはわが愛の足りなきを思い,十字架の主の執成しを祈るようにいつも導かれています. このように皆違った思い出や連想がつきまといますが,三つに共通なことはわたくしによく似合う色や模様です.それもその筈で,三つともそれらが私に贈られた時点で,贈り主がわたくしへの好意に満ちていたからです. よい思い出を感謝させ,失望を与えたわたくしの罪がゆるされる希望を与え,執成しの主への祈りに導くがゆえに,三つともよい器と感謝して使っています. このことはすべての贈りものにあてはまります.贈り主とわたくしとの間の感情でなく,永遠の主から賜わる愛の象徴として見える見えざる奉仕の贈りものにとりかこまれていることを感じます.真のエクレシアの象徴は,偶像や建物でなく,この世には隠れていても人と時と所それぞれに示される愛のしるしです. |