菓子折の祝福

 ある小さな会合で若い友人がこんな述懐をしていました――報酬を受ける約束で仕事を世話してもらっていたのが出来上ったので,お礼の菓子折を持って出かけて行き,印鑑をといわれるままに渡したけれども,受取りなどの書類を整えただけで,約束の報酬は他の人が使ってしまったから勘弁してくれといわれたそうです.それでも,仕事が出来上ったのがうれしかったし,世話してくれた人にお礼の菓子折をあげて帰って来たら,同じ信仰のお母さんは喜んでくれたが親戚の人たちからは馬鹿だと叱られたということです.

この人は聖書を読んでいますので,一方の頬を打たれたらもう一方を……(マタ5:38以下マタ5:38以下 38あなた方が聞いたようにこういわれている、『目には目、歯には歯』と。39しかしわたしはあなた方にいう、悪者にさからうな。あなたの右の頬を打つものには、ほかの頬をも向けよ。40あなたを訴えて下着を取ろうとするものには上着をも取らせよ。41あなたに一ミリオン行くよう強いるものにはともに二ミリオン行け。42求めるものには与え、借りたく思うものを拒むな。 )とか,悪には祝福で報いよ(Ⅰペテ3:9以下Ⅰペテ3:9以下 9悪に悪を、そしりにそしりを返さず、むしろ祝福をお返しなさい。あなた方が召されたのは祝福を継ぐためです。10(聖書にあります、)「いのちを愛し、よい日々を見たい人は、舌の悪をとどめ、唇にいつわりをいわせず、11悪を避けて善をなし、平和を求めてそれを追え。12主の目は義人たちにそそがれ、主の耳は彼らの祈りに傾けられるが、主の顔は悪をなすものに向けられる」と。 .なおロマ12:17以下ロマ12:17以下参照 17だれにも悪をもって悪に報いず、すべての人の前でよいことを心がけなさい。18できれば、せめてあなた方は、すべての人と平和を保ちなさい。19愛するものよ、自分で仕返ししなさるな。(神の)怒りにまかせなさい。聖書にあります、「主はいわれる、仕返しはわがもの、わたしが報いる」と。20むしろ、敵が飢えているなら食べさせ、渇いているなら飲ませなさい。こうするのはその頭(こうべ)に炭火をつむことです。21悪に負けず、善によって悪に勝ちなさい。参照 )などの聖句が心に浮んだのでしょうが,別にあの時点で聖句に束縛されたのではなく,聖書全体の精神に動かされて反射的にあのように振舞ったのです.仕事一つ終えた感謝も大きな要素です.

 悪に負けたのでもなく,悪を奨励したのでもありません.教育や外交の技術面では他の方法もありましょう.しかし,本人が意識してもしなくても,こうした菓子折の祝福がなければ平和は保てません.

 この話しをはにかみながらもそっと信仰の友に伝える顔の輝きと,それを聞く友のよろこびはとても筆では描けませんが,このような集りに復活のイエスがいて下さると思います.イエスが人の罪を負って十字架上に死し,いまは復活して,信ずるものを祝福して下さるので,少しなりとも彼にならって人を祝福出来ることは恩恵です.福音が人を新しく生かす一つの例がここに示されているといえましょう.