未信者の助け

 同信の友との間柄にはこの世ならぬ尊さがあり,そこに真の連帯意識が与えられるのですが,次の事も否定し得ません.

 大正のころ内村先生が或る基督教団体の建物で講義しておられたのが,教会の或る人々の反対のために不可能になって大手町の衛生会館に移られました.その時都下の諸新聞が被害者の内村先生に同情した記事を掲げたのでした.

 形は違いますが,わたくしもささやかな日曜の集りを恵まれてから満15年をこえました.忙しい学年末など,同信の友ばかりでなく,未信者の同僚が勤めの仕事を助けてくれて集りが可能になったことも度々あります.雑誌を毎月出すのにも,印刷や郵送などに未信者の助けが色々あります.聖書を学ぶのはいいことである,という単純素朴な判断がそこに見られます.また,例えば日曜に電車を動かしてくれる運転手など,未信者からの間接の助けは無限です.

 未信者と妥協するのでもなく,彼らに頼るのでもありません.こんな弱いものがとに角少しく仕事をさせていただけるのは,創造主が未信者をも動員して助けて下さるお蔭としか考えられません.特に,いわゆる宗教家や篤信の人に冷たくあしらわれますと,こうした助けの有難さが身にしみます.それを受けてもいいというのが罪のゆるしの福音です.

神の愛が先ず罪人や異邦人(すなわち未信者)にあらわれて,全人類が救われる,と聖書にありますが(ロマ11:25-36などロマ11:25-36など 25兄弟たちよ、この奥義を知らずにいないでください。それはあなた方が自分を賢いと思いあがらないためです。奥義とは、一部のイスラエルが頑になったのは異邦人の完成が訪れるときまでで、26こうして全イスラエルが救われよう、ということです。聖書に、「救い手がシオンから出、ヤコブから不信を遠ざけよう。27これこそ彼らとのわが契約、彼らの罪をわたしが除くそのときに」とあるとおりです。28福音によれば、彼らはあなた方ゆえに(神の)敵となり、選びによれば父祖たちのゆえに(神に)愛されるものです。29神の賜物も招きも取り消されないからです。30かつてはあなた方が神に不従順であって、今はこれらの人の不従順によってあわれまれたように、31これらの人も今はあなた方のためのあわれみに不従順ですが、それは彼らも、今あわれまれるためです。32神はすべての人を不従順へとお閉じ込めでしたが、それはすべての人をおあわれみになるためでした。33ああ、神の富と知恵と知識の深さよ、なんとその裁きのきわめがたく、その道のはかりがたいことでしょう。34だれが主のみ心を知りましたか。だれが彼の相談役になりましたか。35だれがまず主に差しあげて、そのお返しを受けえましょう。36すべては彼から出、彼にたより、彼に帰します。栄光がとこしえに彼にありますように。アーメン。 ),未信者の助けはわれらを彼らと同じ所或いは彼ら以下の所に置いて,彼らのために祈るようそなえられているのではないでしょうか.いつか皆ともに救われるとき,これらの助けがきよめられて,すべてを感謝し得る希望が与えられると思います.