徹夜の弁 |
時々徹夜をしますので色々な方からお見舞やら激励やら警告やらを頂戴しています.徹夜の勉強や執筆と申しますと熱心に聞えるでしょうが,わたくし自身決していいことと思っていません.毎日30分ずつ余計に仕事をすれば徹夜は避けられる筈ですし,健康の責任も考えるべきは当然です. なぜ徹夜をするよう追込まれるか,については,若い頃受けた教育,戦中空襲下の不規則な生活などの原因も考えられますが,何といっても自分自身の弱さのためといわねばなりません. 同時に,こういうこともあります.聖書にあることの意味をたずねて色々な書物を調べまして,その成果をどうまとめて表現するかに苦心していますと,いくら時間があっても足りないのです.学問的な程度を下げれば早く書けますが,わたくしは速成を好みません. それにしても,いよいよ毎月の〆切が近づくにつれて力が出て来るのは不思議です.自分の力とはとても思えません.読者諸兄姉の祈りによって,無益な僕に霊がはたらくのでしょう. 徹夜で病床を守るお医者や看護婦さん,夜行列車の乗務員などの苦労も少しわかります.労働のきびしさを感ずるにつけ,夜がないといわれる神の国(黙示22:5黙示22:5 夜はもはやなく、燈火の光も日の光も無用である、主なる神が彼らを照らしたもうから。そして彼らは世々とこしえに王者となろう。 )がしたわれてなりません.罪がゆるされてそこに招かれる希望がわたくしを支えてくれます.こんなわたくしをここまで導いて下さった愛の神は,それを実現なさるでしょうし,同胞をも必ずお救いになるでしょう. |