激動の中から |
戦争の危険が迫ったころです.聖書の示す平和をのべ伝えるために,多くの先生が文筆や講壇で奮闘して下さいました.それにも拘らず,日本は取り返しのつかない道に踏込んで,泥沼どころか,火の海に落ちて行きました.当時20代でしたわたくしは,時局について何度思いつめたことでしょう.しかし,“主がなんじらのために戦われるから,なんじらは黙っていよ”(出14:14出14:14 主があなたたちのために戦われる。あなたたちは静かにしていなさい。」(新共同訳) )がわたくしへの教えでした.そして,無能無為の罪はキリストの十字架によってゆるされるという福音に慰められていました. 外国にひとりいる時も,多くの同信の友が日本の行き方には反対しつつも,わたくしたち少数の平和者に国境をこえての好意を示してくれまして,勉強をつづけることが出来ました.わたくしの至らなさを思うにつけ,ここまで導いて下さった恩恵の主に感謝は尽きません. このごろ,勤め先の大学が荒れまして,新聞その他ジャーナリズムに取上げられて事情を知らぬ人が勝手なことをいいはじめますと,戦争の頃が思い出されます.少数意見として葬り去られることもしばしばですが時が経つと段々生きて来ます.また,出来るだけのことをしましてもあまりいいたくないことが多いのです.結局黙々として隠れたところで若い魂の友になり,目を新しい大学のあり方に向けて地味な道を歩くのが最善と思っています. 戦時中や戦争直後に外国人から示された好意よりも遥かに深いものが多くの誌友から送られて来ます.世の中がどうなろうとわたくしは聖書の勉強をつづけて乏しいながらもその成果をお分ちするつもりです.激動にもまれればもまれる程聖書の真理が勝ちつつあることを肌で感じています. |