
万年求道者 |
多くの教会で信者と求道者とが別扱いされていまして,信者になるには,聖職者との信仰問答とか水の洗礼とか,いろいろな条件を満たす必要があるそうです.わたしたちのところにはそうしたことはなく,ひとり聖書を学ぶ人が段々に集って何年かたつうちに交りが与えられてゆきます.だれが信者かわからなければ困るではないか,と教会の人から聞かれますが,わたくしの知る限り,そのために困ったことはありません.こうした区別にとらわれずに,福音のよろこびを共にしつつそれぞれの持ち場でこの世と戦って行くのです. それに,一定の条件を満たして,自他ともに信者と認められた人が,後になって脱落した場合が何と多いことでしょう.神から恩恵として賜わる信仰を人間的に規定して信者の型を作るところに問題があります. わたしたちは,大悟徹底して完成した宗教人になるのでなく,神の国に迎えられるとき聖められる約束を受けて,希望のうちに日々を送る万年求道者でありたく思います.期待される信者像からは遠くとも,わたしたちの祈りは聞かれるでしょう.既成宗教の固定概念に束縛されずに,未来の完成を待ちのぞみながら自由の福音に生きるよろこびの集団こそ真のエクレシアです.律法からの解放者であるイエスに従うところに真の律法への道があるという新約の精神は旧約的な束縛の多い現代にますます切実です.イエスの教えを基本にする聖霊のはたらきは自由のうちに強い具体性を与えるものであることをわたしたちなりに証し得ると思います. |