
国の内外 |
10数年の在外中にも,その後数回の国際的な会合でも,来日の外人たちとの度重なる接触の折にも,今までのいわゆる教会とは違ったわれらの純福音的な行き方に対して多くの理解を得ていることは何度も発表して来たとおりです.国語や生活環境の相違をこえる真理の力といいましょうか,国際的な理解は激しい戦いのうちにあるわれらへの大きな慰めと励ましです. しかし,説明してごもっともですといわれても,それで十分とはいえません.このごろはローマ・カトリック教会内部でも宗教改革の意味が認められて来まして,ルターの讃美歌をうたう神父もありますが,中世的な世界に止まっている人も少なくないのが現状です. 純福音的な,律法としての宗教をこえるものを求める向きが全世界的に増大するのは結構ですが,われらは“キリストの名の未だとなえられぬところ”(ローマ15:20ローマ15:20 このようにして、わたしはキリストのみ名のとなえられぬところで、福音を伝えることを名誉としました。それは他人の土台の上に建てないためで、 )が自分の国に沢山あること忘れますまい.そのところで罪の重荷や世相の暗さに悩む人々に福音の何であるかを伝えましょう.それを日本語で,日本人らしくすることが大切です. 国民から浮上った外交官が国際屋に堕して国を誤り,国内経済を無視する外国為替専門の銀行が危険なことはわれらにも教訓を与えてくれます.真の国際人は愛国者です.国際的な理解を特別な恩恵として感謝し,それを誇らずに隠れたところで救いのよろこびを伝えましょう.各々の持ち場で十字架の福音を受けて異邦人への隣人愛に目ざめた初代の人々のように,罪びとである自分が救われるならば全人類が救われるに違いないと信じ,そこに神の国の完成への希望の根拠を見出して行きたく思います. |