推進力

 毎日曜聖書の集まりをしたり,毎月雑誌を出したりしていますと,いかにも熱心な信仰生活をしているようにいわれますが,そうではありません.人間としていろいろ欠点を持つわたくしですし,学徒として研究と教育と管理に平凡なその日その日を送っているのが実情です.それにもかかわらず集まりも雑誌も長つづきするのはなぜでしようか.

 まず第1に,心身ともに弱いわたくしは常に平安を必要とするのですが,それは努力や善い行ないやこの世の楽しみでは得られず,弱いものの友になるために自ら弱くなって十字架についてくださった救い主によって神から無条件に与えられることを毎日体験するからです.このよろこびをできるだけ友にお福分けしたいという気持がわたくしを動かします.学問はきびしいものですが,救いのよろこびが真理愛の基になりますので,お福分けもできるだけ学的な態度でしたいと思っています.

 第2に,わたくしの拙ない口や筆を通して福音に接した友の間に,何年かしますと不思議な成果が見られることが励ましてくれるのです.この成果にはこの世的な失敗も挫折も含まれます.どんなに倒れても信ずるものには感謝があり,感謝できなくても祈りがあります.ともに祈る友が与えられればそこにこの世ならぬ交わりがはじまります.低く隠れたところに文字どおりの底力が恵まれてきます.永遠の世界がこんなところに示されるのでしょう.

 固着した宗教の形式や概念から解放された自由な境地が味わえるこのよろこびは,過ぎゆくこの世のものでないがゆえにわれわれに生の躍動を与えるともいえます.わたくしの主観でもなく,人間同士が築いた客観でもなく,推進力は生命の創造を今も続けられる全能の神の恩恵です.