心から心へ

 戦中戦後の困難な時に黒崎先生が新約聖書語句索引を完成されたのはすばらしいことですが,ある印刷所が空襲を受け,別のが台風で倒れ,もうひとつのが停電その他で印刷不能になったなどで予約出版がおくれた際,多くの予約者は暖かい理解と同情を示しましたのに,少数の宗教家から冷たい非難の手紙が来たそうです.10年ほど前,塚本先生の御病気で予約出版がおくれたときも,やはり似たことがありました.

 宗教団体の経営という目的のためには手段を選ばず,その欠点を補おうとする人たちも,自分の団体以外に何かがあるとつけ込むようです.同類心理や党派心もありましょうが,結局十字架の福音がその人にとって中心的でないからでしょう.何年かの神学教育ののち按手礼を受けて組織に入り込みますと,一般信徒の醇風美俗から離れる危険にさらされます.教義が律法的に説かれ,礼拝が形式的に繰り返されますと,結果は香しくありません.このごろ教会内でも暴力が振るわれ,神学校でも試験妨害があるそうですが,恐ろしいことです.

 純粋な教会人も例外的にはあります.といいますと,そうでない人が自分がその例外だと思うものです.これにも例外があります.いずれにせよ,祭司でないナザレの建築家イエスこそ真の神の子と信じ,律法主義から転回してテント作りをしながら福音をのべ伝えた使徒パウロに学ぶわれわれはさいわいです.至らない筆者に全国の誌友から寄せられる音信は心から心への暖かいコミュニケーションです.聖書に親しむ平信徒の生活が全世界的に重視されて来たことの意味をしみじみ感ずる次第です.