素朴な願望

 東京のある公立の小学校で父母会が開かれたときのことです.生徒の弟や妹に当たる子どもから手が離せない母親の欠席が多かったので,子どもを預けられるくらい隣近所と仲よくすべきだという結論が出たそうです.

 何も父母会のために限らず,世の中がだんだん物騒になりましたので,ちょっとした外出にも“ひと声かけて,鍵かけて”といわれるこのごろですが,その声をかける相手はだれか,が問題になります.戦争中は物資の配給や空襲の危険のために隣近所が助け合ったのに,戦後のいわゆる復興が人間を孤立させましたので,社会生活にひずみが出てきたといえます.

 日本人の島国根性は有名なものです.外国で日本人同士仲よくしているわりにその土地の人々とは本当の友だちになれない場合が少なくありません.外交より内交に力を入れると国を誤ります.これと隣近所との間柄も無関係ではありません.

 人からも自分からも見離されて,たよるは十字架についてくださった救い主だけ,という信仰がこの世での生活を感謝に満ちたものにし,低い所で隣近所のために祈ることもよろこびになります.何もできないがゆえに十字架によるゆるしが必要ですが,長い目で見れば,ここに隣近所と仲よくという素朴な願望への示唆があるといえましょう.これは国際平和についてもこのまま当てはまります.

 重病人であればあるだけ隣のベッドと仲よくしなければなりませんが,福音はこれが命令でなくて恩恵であることを示してくれます.

 弱い人のための福音が社会を救うことが,空理空論でなくて身ぢかに体験しうる真理であることが,こんなところからも把握できましょう.