自他を生かすもの |
内村先生の全集や先生門下の方々の著作が教会の中でも広く読まれ,説教の材料にもされるようになりました.また,ある病院で,無教会的な信仰によって長年建設的な仕事をした院長が引退しますと,その後はある教会員が埋めることになったそうです.こうした例は学校その他にも少なくありませんし,それらを集めますと日本のキリスト教史に有意義な部分を加えることができるでしょう. アフリカでシュヴァイツァー博士の古い病院のほかにフランス政府が建てた近代的な大病院があることも連想されます. ことは先覚者の預言者的活動といい切ることはできず,福音と文化に関する深いものがあります. どんな罪びとでも救われるという福音は人間に新しく生きるよろこびを与えますが,そのよろこびを周囲の人々にも分かちたくなるのが普通です.その方法は人によってちがいますが,学校や病院などはそれが目に見える形をとった場合です.見える形が長つづきしますと,多くの人から重んぜられて継続発展が望まれます.模倣者も出ます.創始者ほどの苦しみや熱意がなくても後継ぎはある程度の成果を挙げえますし,弊害があれば福音的に目ざめた人が是正するでしょう.文化の主導権争いなど非文化的なことはひま人に委せましょう. 大切なのは福音のよろこびという原動力です.それは人の目につく事業に限らず,職場や家庭の隠れたところで,静かに,しかし力強く機能を発揮するものです.長い目でじっと見ているとわかります.人に知られず,自分で何もできずとも,隠れた神に近くありうることが自他を生かす真の文化への第一歩です.聖書をひとり学ぶという地味なことの意味がこんなところからもわかると思います. |