問題は常に心 |
毎日平均数十人の死者が出,負傷者はその何倍という交通事故の犠牲を思いますと,だれもじっとしていられますまい.近しい人の中に戦死者や被災者が出た戦時中の恐ろしさが思い出されます.それで,歩道橋,立体交差,ガードレール,一方通行,酔っぱらい運転禁止等々の方策が立てられることを社会人として支持すべきことは常識になっています.子を持つ親にはなおさら切実です. しかし,そうした支持や発言だけでは不十分です.自分で規則を守り,反則者が町の中に満ちていることを忘れずに身の安全を図る必要があります.しかしその自分も弱くて頼りにならないので神に祈りながら歩かざるをえません. 交通に限らず,この世のすべてが危くなってゆきます.物質崇拝は迷信化し,経済成長ははでな消費をさそい,物価は上がり,利己的な政策は隣国の怒りを招きつつあります.熱病にかかった世にへつらうジャーナリズムの害毒も恐ろしいものです.いつまでもこのままでいいわけがありません. 使命を感じ,能力のある人は社会的発言をし,あるいは実務について改善に努力するのが結構です.しかし,それにも限界があります.酔わないようにする心と周囲の環境はどうしたら作り出せるでしょうか.問題は常に心です.神との間の平安を与えるために隠れたところで静かに奉仕なさった救い主を信じて従いましょう.そこに自らにも社会にも最善のものが与えられることを聖書全体が示していると思います. |