帰朝20年

 1950年11月17日に13年ぶりに帰朝しましてから20年が経ちました.多くの方々の御期待にそむいた申しわけなさに打ちのめされる思いがします.帰ったのは朝鮮戦争の際中でしたが,それも治まり,その後ベトナム,中東,アフリカなど各地の戦乱にもかかわらず,日本列島が兵火に見舞われなかったのはさいわいでした.戦時中ドイツで空襲や空腹に悩まされたことを思いますと,20年間平和のうちに生きえたことだけでもありがたく思います.

 しかし,昭和元緑の世相や国際関係は恐ろしさを加えてきました.新聞に報ぜられることは氷山の一角にすぎません.いわゆる大学紛争も未解決のまま慢性化しまして,新聞があまり取り上げなくなったところに問題があります.国の内外にこれからも困ったことが起きるでしょう.

 このような外界の暗さやわたくし自身の至らなさにもかかわらず,わたくしには希望の光が与えられています.平信徒として祖国の若い人々と共に学びたいとの念願を持っていましたが,少数ながら同じ信仰の友を与えられてきました.それらの人々同士の間柄にもこの世ならぬ美しさがあり,おのおのが家庭や職場で苦しみながらも恩恵を受けています.この世的に目立たないものだけにそこに神の国の面影があります.この感謝とよろこびが小さな雑誌にいろいろな形で反映されるのです.このごろは外国の友とも再会の折りが与えられるようになりました.聖書の勉強のまとめも進めたく思います.

十字架ゆえにすべての罪をおゆるしになる神の恵みによって,パウロがいいますように,後のものを忘れ,前のものに向かって進みたく思います(ピリ3:13ピリ3:13 兄弟よ、わたし自身まだ捕えられきったと思ってはいません。ことはただひとつです。すなわち、後のものを忘れ、前のものへと手を差し伸べ、 ).