暖かく迫るもの |
4つの福音書はイエスを神の子と信じた人々によってそれぞれにまとめられましたので,資料の取捨選択や描写の方法などに多様性がありますが,全体のうちにイエスという生きた人格の躍動があって,いたるところわれらに暖かく迫るものがあります.これはなぜでしょうか. イエスは,当時神から呪われているとされた病人や弱者こそまっ先に神の救いの対象になることを明らかにしつつ,その神とともに人に奉仕するところに真のさいわいがある,と教えたのでした.それを徹底させて人の罪を負う十字架の死への道を歩んだ彼ですが,われらがどん底に落ちこんだときその彼によって救われるよろこびは,彼とともに奉仕して神の救いの御業に加わらせていただくという新しいさいわいへと発展します.このさいわいは,ただ自らが救われるという自己満足の蓮のうてなにあぐらをかくのでなく,他の人々とともに救われるという社会的な積極性を持ってきます. 自分だけが神に近いという自負心は他人を軽蔑することとなり,自分を神として崇拝する危険をはらみます.しかし,信仰はもとより,すべてを神からの恩恵として感謝し,それを人と共にするところに真のさいわいが与えられます.それは自らを人の下に置くことによってのみ可能です.人間はその反対の方向へ行って罪を犯すのですが,罪に打ち勝つイエスによって罪はゆるされ,救いを感謝しつつ彼に従うところにこの世の思想とはちがったさいわいがあります.感謝しうるという新しい価値観への目ざめです.その感謝を周囲の人々と分かちあうところに,神の国という新しい社会の前味があります.イエスに接するとき暖かく迫るものがあるのはこのように説明しえましょう. |