協力の問題点

 ローマ・カトリックを含む諸教会の人々の集まりで,教義や礼拝形式は異なっても,イエスをキリストと信じる点で一致するならば,その信仰のあらわれとしての行為においても一致しえないか,が討議され,結局,一つには学問ことに聖書の研究で,今一つには医療や貧民救済などの社会奉仕で互いに協力しうる,ということで大勢の意見が一応まとまりました.

 われわれも協力を惜しみますまいが,次の諸問題を考えましょう.第1に,学問と社会奉仕とでの協力はなにもキリスト教徒にかぎらず,まじめな人の間で可能であるし,実際行なわれている,ということです.日本において特に然りで,いい学校や病院の多くがキリスト教と無関係です.文化と福音とは直接関係なく,目に見える事業を中心に信仰を考えるのは危険です.特に,専任の聖職者の仕事として学問や社会奉仕がなされる場合,信仰と効率とが混同されて,結局御利益(やく)中心の低俗な宗教に堕します.その結果はこの世の組織以下になりがちです.

 次に,西欧の文化が全世界的に広まっていることは事実ですが,そこに危険があることは政治・経済・軍事・医療その他あらゆる社会の現象に見られます.ここにも福音を中心とする反省が必要です.

 聖書に示される福音は,人間が罪の存在であって,罪のない神の子の犠牲死によって救われることを明らかにしますが,この福音はいままで文化的であると思っていたものの価値を変える力を持っています.文化と福音とを混同せず,率直に救いの恩恵を受けましょう.隠れた神とともに歩みつつキリストの御名をかかげないで黙々と研究や社会奉仕に献身するところに本当の祝福が伴うものです.