孤高か孤低か

 宗教にせよ,政治にせよ,また広く文化の面においても,指導者は大ぜいの人の上に立って高い所から彼らを率いていくのが常です.そうした人が自薦他薦の運動をしてさらに高い所すなわち主導権を目ざして争うために多くの災いがおきることは歴史と現実が示すとおりです.そして,罪はそうした指導者ばかりでなく,彼らをおだてて野心をとげさせ,自分たちは日和見主義で何もしない大衆にも責任があります.

しかし,モーセの場合,彼が民衆指導の召命を受けたとき,“口も重く舌も重いのです,ほかの適当な人をおつかわしください”と神に対して辞退しています(出4:10以下出4:10以下 10それでもなお、モーセは主に言った。「ああ、主よ。わたしはもともと弁が立つ方ではありません。あなたが僕にお言葉をかけてくださった今でもやはりそうです。全くわたしは口が重く、舌の重い者なのです。」11主は彼に言われた。「一体、誰が人間に口を与えたのか。一体、誰が口を利けないようにし、耳を聞こえないようにし、目を見えるようにし、また見えなくするのか。主なるわたしではないか。12さあ、行くがよい。このわたしがあなたの口と共にあって、あなたが語るべきことを教えよう。」13モーセは、なおも言った。「ああ主よ。どうぞ、だれかほかの人を見つけてお遣わしください。」 ).また,モーセ以外の人々が預言しているのを従者がモーセに止めてもらおうとしますと,彼は“主の民がみな預言者となることは願わしい”といっています(民数11:29民数11:29 モーセは彼に言った。「あなたはわたしのためを思ってねたむ心を起こしているのか。わたしは、主が霊を授けて、主の民すべてが預言者になればよいと切望しているのだ。」(新共同訳) ).モーセのなしとげた偉業のために彼はいつも高いところにいるような歴史が書かれていますが,実際は謙遜で,自分だけ預言者になろうとする自我意識のない人であったと思われます.

より深い意味で,イエスがそうでした.高い所からこの世を治めることを誘惑としてしりぞけ(マタ4:8以下マタ4:8以下 8また悪魔は彼をいと高き山に連れ行き、世のすべての王国とその繁栄を彼に示していった、9「もし伏してわれを拝むならば、これらすべてをなんじに与えよう」と。10そこでイエスはいわれる、「サタン、消えてうせよ。聖書にいわく、『なんじの神である主を拝み、彼ひとりに仕えよ』と」。11そこで悪魔が彼を去ると、見よ、天使たちが近づいて彼に仕えていた。 ),低いところで人の僕となって愛の奉仕をした彼です.そこにさいわいのあることを弟子たちに教えたのですが,弟子たちは理解せず,ついに彼は人の罪のために死ぬという最低の道を歩んだのでした.人間は彼のごとくではありえないがゆえに彼に罪をゆるされる必要がありますが,低い所へ落とされると彼に出会いうるのはふしぎです.はじめはひとりでも,彼とともに歩みますと,しだいに同じような人々とのよろこびの共同体を与えられるものです.そこに神の国の面影があるといえましょう.