去りゆく人々

 集まりや雑誌で多くの友と信仰の苦楽を共にしうるさいわいは口ではいえませんが,長い年月の間には少数ながら去りゆく人々もありました,それらの人々が間接に与えてくれる教訓が福音のよろこびを強化拡大してくれますので,それらの人々への祈りの心も増してきます.“去るものを追わず,来るものを拒まず”というのがわれらの原則ですし,人の世話をする負担の軽減のための聖意と思われる場合もあります.

 去りゆく原因としてはまずわたくしの至らなさを挙げねばなりませんが,宗教家のねたみによる悪口に迷わされたり,幼時から受けた島国教育によって国際的な隣人愛から逃げたくなったり,手っとり早く聖書の学問を身につけようとして行きづまったり,素朴な聖書研究に不満で複雑な神学論争や甘美な礼拝に浸りたくなったり,静かな信仰生活にあきたらなくて派手な行動がしたくなったり,エロスと手を組んで日曜に散歩したくなったり,平信徒であるわたくしを宗教家扱いしようとして失望したり,これらの二つ三つを兼ね備えたり,その他いろいろです.去ってから後の彼らを見ますと,この世的には一応いいようでも,真のさいわいから離れるのが常です.

ガラテアで弱さに行きづまったパウロが弱い姿で十字架につかれたイエスの福音を説き,それに接した人々がさいわいであったのに(ガラ4:13以下ガラ4:13以下 13ご存じのとおり、はじめ福音をお伝えしたのはわたしの体が弱っていたためでした。14しかしあなた方はわたしの体について誘惑があったのに、いやしめず唾せず、神の使いのように、キリスト・イエスのようにわたしをお迎えでした。15それなのにあなた方のさいわいは今どこにありますか。証言しますが、あなた方はできることなら目をくりぬいてわたしに与えようとしました。16すると、わたしはあなた方に正直であったために、敵になったのですか。17あの人たちがあなた方に働きかけるのは善意でなく、あなた方が彼らに働きかけるようにとあなた方を閉め出したいのです。18良い意味で働きかけられるのは、つねによいことで、わたしがそちらにいるときに限りません。19わが子よ、キリストがあなた方の間に形をとるまで、わたしはふたたびあなた方のために産みの苦しみをします。20今にもそちらへ行きたい、そして語調を変えて話したいのです、あなた方のために途方にくれていますから。 ),福音によって与えられた力に甘え,弱さを忘れて問題をおこしたことは今日もくりかえされています.しかし結局福音が勝つという歴史は,またわれらへの慰めと励ましです.去りゆく人々への祈りが本当の祈りのようにも思えます.