価値判断

 ここに100グラム入りのびんがあって,その中に50グラムの水があるとします.50グラムの水がある,とだけいうのは事実判断ですが,これに対して,50グラムしかない,という見方と,50グラムもある,という見方とがあります.これは価値判断です.

 価値判断は人生と社会に重要な役割を演じています.どん底から見れば世の人が半分や三分の一と思うものもありがたく,何もかもそろうことを当然と思う人には少しの空白も不満のもとです.

 労働と賃金の問題にしても,自分がこんなに働いたのにたったこれだけか,という見方と,大した仕事もしないのにこんなにいただいて,という二通りの受け取り方があります.

 人と人との間の憎しみや争いも前者による欲求不満がもとです.国と国との戦争も,階級間の闘争もそれが集団化したものといえます.

 それで,遠慮とか謙遜とか足るを知るの徳とかの倫理や,来世の充実を夢みさせてこの世では諦めさせる宗教が発達するのですが,これらに限界があることはわれらが日常体験するとおりです.

聖書は人間が罪のゆえに死すべきものであり,その人間の救いのために罪のない神の子が死して復活し,人間を新しく生かすという福音を伝えます.生きる資格のないものが生かされ,永遠の命を約束されるというよろこびは,すべてのものに新しい価値を置き,ないものも与えられる希望となります.“神の子とともに万物をわれらに恵まれた”(ロマ8:32ロマ8:32 おのがみ子を惜しまずにわれらすべてのために死に渡された方が、どうしてみ子といっしょに万物をわれらに恵まれないでしょうか。 )ということばもこの角度から解しうると思います.