
美談の陰にさす光 |
個人あるいは少数者が犠牲になって多くの人が助かったことが美談として伝えられるのは珍しくありません.しかし,例えば戦史の専門家の間では,決死隊などの英雄的な行動がなされた場合,そのりっぱさは称賛されるべきにしても,それは作戦全体としては失敗の証拠である,とよくいわれます.美談には暗い陰があります.決死隊なしに,みんなが負担を分け合って最少の犠牲で動くのが上手な作戦です.いちばんいいのは戦争なしに事を解決することですが,真の平和は互いが重荷を負ってこそ可能です. 世の中が乱れて,犯罪や病気や事故がふえますと,人々は美談の主人公になるような犠牲者を求めます.自分は何もしないで一部の人に重荷を負わせようとするのです.また,自ら美談のモデルになるようにと派手なスタンドプレイをする宗教家や政治家も現われます. ローマ帝国占領下のパレスチナでも指導者を待望する声は強く,自薦他薦の救世主が活発な運動を展開していました.そうした時にナザレのイエスは罪の重荷に苦しむ人を救おうとしたのでした.彼の活動が福音書に伝えられていますが,それらは普通の美談とは違います.彼自身はそれが人に知られないようにしたこと,自分だけでなく多くの友と協力して他人の重荷を負うさいわいを共にしようとしたことが特徴的です.救いへの新しい光です. 世に理解されずに殺された彼を神の子と信じるものは,自らの無力が彼によってゆるされるという安心感とともに,隠れたところで彼に従いつつ永遠の平和の建設に参加しうるよろこびを与えられるのです. |