いのちの水を受けるもの

 1959年にはじめてパレスチナを訪れたときのことです.エルサレムと周辺で種々見学してからダマスコへ向う途中でした.ヨルダン川を東に渡って舗装された自動車道路を時速100キロで走っていましたが,両側の砂漠にはところどころテントが張ってありまして,昔ながらの遊牧民の生活がつづいていました.自動車道路に沿ってこれまた昔ながらの狭い道があり,駱駝を数頭つらねた隊商に出会うこともあり,驚いたことには,その道をいざりが短い松葉杖を頼りに何日もかかって次の町へ行くのが見えました.

 かつて旧約の歴史がここらで展開し,イエスの活動の舞台もすぐ近くであり,パウロが回心したところでもありますが,それらのことを知らず,知ろうともしない人々が2000年近く後の今日も昔ながらの生活をしているのです.

砂けむりをあげてダマスコへ向うわたくしはよいサマリア人の話(ルカ10:30以下ルカ10:30以下 30イエスはそれを受けていわれた、「ある人がエルサレムからエリコへ下って行くとき、強盗にやられた。彼らははぎとり、なぐり、半殺しにして逃げた。31たまたまある祭司がその道を下ってきたが、その人を見ながら、向こう側を通って行った。32同じようにレビ人もそのところに来たが、見ながら向こう側を通って行った。33しかし旅するあるサマリア人はその人のところに来ると、見てあわれに思い、34近よって傷にオリブ油とぶどう酒を注いで包帯し、自分のろばに乗せて宿屋に連れて行って手当てした。35そしてあくる日宿屋の主人に二デナリ渡していった。『この人に手当てをしてください。もっと金がかかったら、わたしが帰りに払いましょう』と。36この三人のうち、だれが強盗にあった人の隣びとであったとあなたは思うか」と。37彼はいった、「その人に親切にした人です」と。イエスはいわれた、「行って、あなたも同じようになさい」と。 )にある無情な祭司やレビ人のようで相済まなく思いました.しかしイエスが活動された当時も本当に彼に従った人は少数でしたし,彼はただひとり十字架につかれたのでした.キリスト教は復活の音信によって少しずつ発展してきたのですが,今日でも世界的に見れば,相変らず少数党です.砂漠で出会う人は信仰を受け入れない多数党の一部といえましょうし,アジア・アフリカで福音に耳傾けない人もそうです.この世の勢力や文化と密着したキリスト教会に反ぱつする人が多いのは当然ですが,われら少数のものは全世界が砂漠化しつつある現代に救いの歴史の流れのほとりで静かに永遠の生命の水を受け,また近しい人にそれを分ちましょう.