安心感

 最近のことです.わたくしよりもはるかに年上のある誌友を病床に見舞いましたところ,病苦を忘れた顔つきで,その方の親友でこれまた年配の方が安心感に満ちて永眠できた様子を報告されました.その方にはお会いしたことはないのですが,ここ数年来本誌の読者であったそうで,自分はどんなに罪深くても,罪のない神の子が血を流してくださったから大丈夫救われるという福音によって本当の安心感に満ちることができ,病床が花園のようになり,苦しさで流した涙がうれし涙に変ったというのです.

 わたくしの筆は拙いのですけれども,聖書の真理は雄弁です.他の宗教とはちがって,神の側からひとり子を遣わして,その苦難と死によってすべてのものを救いたもうという徹底した恩恵が与えられることは不思議です.人間の測り知れない力がはたらいて天来の安心感で魂の奥底まで満たされるのです.人間の努力による大悟徹底とか安心立命とはちがって,宇宙万物を創造なさった全能の主の力にのみよる安心感です.

 この安心感が今持てなくても,長年人生に苦しんだ人々が持ちうるものなら自分にもいつか与えられようという希望も湧いてきます.

 人間の側からのものでないのですから,交通事故で急死しても,あるいは悪質の病に脳を犯されて神をけがすような言動をしても,神の側からの救いには変りないばかりか,神はそのような人々をまっ先に救おうとしてひとり子を遣わされたという福音に安心感の極致を見ることができます.頭の上にも足もとにも危険物が満ちているこの世で,一寸先も見えないやみの中に生きるわれらですが,このような安心感の光には何びとも導かれうると思います.