救いのよろこび

 われらが救われるのはよい行いを積み重ねるのでなくて,神が罪のない神の子イエスを遣わして血を流させてくださったおかげです.われらに信仰する,すなわちまことである力がなくても,彼がどこまでもまことでいてくださって,神意に従って十字架につかれたから大丈夫というしっかりした事実にもとづく救いの約束があります.これは聖書全体が明らかにするところですが,これを自分の命のこととして真剣に受けとめているか否かでその人の救いが確かかどうかわかります.

 逆の方からこれを見ましょう.人間どうしでしたらたいてい利害や感情で結びついていますので,何か不利なこと,気に障ることがあれば離れがちです.分離は互いの死です.しかしイエスは神に背く罪びとこそまっ先に救いの対象になるという新しい福音を示し,罪のあがないのために命を落としたのでした.彼により頼めば救いは大丈夫という約束を,人に背かれたときに身にしみて感謝しうるのはそのためです.こうして救いをいささかなりとも体験しうるものが,そのよろこびのゆえに,人から背かれてもその人とともに救われるようにとの祈りへ導かれるならば,そこに本当の救いが待っているといえます.

 肉において悩みつつも霊において新しく生きるという救いのよろこびがあります.人間には不可能なことが神の力によって可能になることが少しなりともわかるならば,そして神の国の完成のために救い主の名によって祈ることができるならば,この世に生まれたことのよろこびを新しく感じえましょう.イエスの生涯が死で終わらず,復活によって永遠につづくという信仰は,このよろこびと密着するものです。