この世への批判力 |
戦後間もないころでした.日本の教会のある指導者がジュネーブに立ち寄った際,敗戦の瞬間の第一印象は結局軍国主義者にだまされたということでした,と述懐していました.内村先生の流れを汲む人々は,この世の人の宣伝に対する批判力が養われていて,だいたいの方向を予感しえたとともに,国の不幸を同胞のそして自らの罪の問題として謙虚に難局に当たってきたといえます. 人間としての弱さにうちのめされて十字架を仰ぐがゆえに,戦争責任の追及もせず,また暴力への誘惑によって分争に分争を重ねる人々と行動を共にせずに,平和の道へ導かれているのです. よく教会その他に問題がありますと法廷闘争になりますが,聖書に親しむ人には,不信者に裁かれるよりは不義を受けて欺かれましょう(Ⅰコリ6:7Ⅰコリ6:7 そもそも互いに争いがあることが、すでにあなた方の敗北です。なぜむしろ不義を受けませんか。なぜむしろだまし取られませんか。 )というパウロの精神に従う忍耐が与えられます.祝福された具体例の数々を挙げることもできます.ひとりひとりの罪の意識が不思議にも罪のこの世への批判力を養ってくれるのです.罪をゆるしたもうものの霊の働きがこの世の知恵よりも強いからです.経済大国のかけ声などにも迷わされますまい. かつての軍国主義よりももっと強い力が現われる時もありましょう.それでなくても世の中は乱れつつあります.神はまことにいますので,耐ええぬほどの試みにお会わせにならず,必ず逃れの道をそなえたもうこと(Ⅰコリ10:13Ⅰコリ10:13 あなた方の出会った試みで、世間ありきたりでなかったものはありません。神は真実にいまします。神はあなた方が耐えうる以上に試みられることをお許しにならず、試みとともに、耐えうるよう逃げ道をお作りでしょう。 )を信じましょう.組織に頼らず,固定集団をも持たずにひとり聖書を学ぶものへの恵みの光は,この世の暗闇が増せば増すほど輝くでしょう.究極の勝利はわれらのものです. |