小包のおじさん

 戦中から戦後にかけて親しくしたスイスのある家庭でのことです.家族の食卓とは別に食堂の片すみの小さな机で黙々と読書したり食事したりする老人がいました.わたくしが行きますといつも立ち上がってていねいに挨拶してくれるのですけれども,口がよくきけないのです.こちらのいうことはわかるのでほほえみながらうなずくのが常でした.言語障害の人だったのです.外を歩くときは村の人たちからあざけりの目で見られているのが気の毒でしただけに,わたくしの親しくした家庭が彼を温かくいたわっているのをゆかしく思いました.

 はじめての訪問から2~3年たったころでした.近くにある麻縄や革帯の工場のすみに積んである小包の山を指さしながら,わたくしの友人はこれがあのおじさんの仕事ですと申しました.紙の包み方,ひもの結び方,できあがった小包の積上げ方など,実にすばらしいものです.魂を打ち込んだ小包の山にきびしさと美しさが感じられました.村の人たちから笑われながらこうした人生を送るおじさんに尊敬と親近感を抱いたしだいです.

 ちょうどそろそろ目本へ帰るようにとの声がわたくしを動かしはじめたころでしたので,あのおじさんのように,多くの人からはあざけられても,片すみで何か黙々と仕事をして,温かくしてくれる少数の人に慰められればいいと思いながら帰りの旅の準備をしたことが思い出されます.

 10年ぶりにあの家庭を訪れたときにはもうあのおじさんは亡くなっていました.けれども,在天の彼は今もわたくしを慰めていてくれます.そして,こうした事実の数々によって,聖書の精神がだんだんわからせていただけることを感謝しています.