未信者の反応 |
戦前のことですが,パリ在勤の友人の奥さんがいっていました.ある会合の後で,連れの婦人たちがあなたはクリスチャンだからひとりでもこわくないでしょうといって置いてきぼりにしたので,暗やみの並木道をこわごわ急ぎ足で家路についたそうです. 自らの弱さに悩み罪に苦しむものは神を恐れるだけに暗やみも病もすべて無力な自らへの神の裁きであり,それだけに未信者以上にそれらに悩むのがクリスチャンではないでしょうか.大悟徹底した聖人君子はいざ知らず,わたくしたちは黙々として夜道を急いだ人の寂しさを共感しうると思います. 自分たちだけで帰りを急いだ人たちは,都合のいい理屈としてクリスチャン云々とおだてたのでもありましょう.この点右や左のお旦那様と持ち上げる乞食根性とも相通じます.天国を信じるクリスチャンは殺してもよいという風にエスカレートする危険な考え方です. しかし,クリスチャンは暗やみを恐れないと思わせた一種の定評には底力があります.酒やたばこをのまないので健康であり,経済的にもあるおちつきがあれば未信者からは金持ちとも思われましょう.職場で同僚や上役からいじめられても仕返しをせず,信仰をもってこつこつ働いている人など,未信者からは尊敬もされますが,ときには善意が悪用されるものです. 人のことを気にする必要はありませんが,弟子たちをつかわされたイエスが,羊を狼の中へつかわすも同然といわれ,賢いこと蛇のよう,純なこと鳩のように(マタ10:16マタ10:16 見よ、わたしがあなた方をつかわすのは羊を狼の中へも同然。それゆえ賢いこと蛇のよう、純なこと鳩のようであれ。 )といわれたことの広さ深さを味わいましょう.世が乱れ,人の心が冷えるこのごろ,イエスを救い主と仰ぐことの意味はひとしおです. |