“まだ終りではない”

 “日本沈没”とか“大東京壊滅”とか“地球蒸発”とかが論議され,映画化され,終末を題名にする雑誌も出るほど,このごろいわゆる終末論が盛んになりました.昨秋からの石油危機や大幅の物価高や物不足が悲観的な風潮を高めたようです.戦後の混乱期から朝鮮戦争その他数々の危機がありましたが,それらはたいてい国の外のことであり,国の内では状勢がしだいによくなって昭和元緑といわれるほどになりました.そこにひずみが生じてきたのです.国際環境にもよりますが,物質至上主義が最大の原因です.

 さて,状勢が悪化して終末論が盛んになるのは歴史上も珍しくありませんが,未開地域で洪水や山火事があると世の終りといわれるのや,世紀末とか資本主義末期とかいうのも広い意味で終末論です.万事休す,なにもかもおしまい,という感情もこの部類に属します.

ローマ帝国占領下の物情騒然たるパレスチナで,多くの人が天と地の異変や社会の動乱を世の終りであると思っていたときに,イエスが“まだ終りではない”といい,真の終りは福音が全世界の人にのべ伝えられてから来る(マタ24:7マタ24:7 民は民と、王国は王国と戦おう。飢饉と地震が各地におころう。 , 14マタ24:14 そしてこのみ国の福音が全世界にのべ伝えられて、すべての民への証となろう。そのときにこそ終わりが来よう。 )と教えられたのは新しい終末論です.罪ゆえに滅びるはずの自分が罪なきものの血によって救われることがわかりますと,死者を含むすべての人が救われないわけがないことがわかり,罪の世が終わって救いの完成の時が今来つつあることがわかります.暗いこの世の終末論に迷わされずに,“み国が来ますように”(マタ6:10マタ6:10 あなたのみ国が来ますように。あなたのみ心が行なわれますように、天のように地にもまた。 )との主の祈りをとなえつつ希望に生きるのが信徒の姿勢です.