精神性を生かすもの |
内村先生の流れをくむ人々が,日本あるいは東洋におけるキリスト教土着化の道を歩んでいる,とよくいわれます.弱い人間の集りですからいろいろ問題もありますが,外国でも事情を知る“よい判断の人”の多くがそう見ていることは想像以上です. このことの説明のひとつとして,わたくしは精神性を取り上げましょう.このごろは少し変わってきたとはいえ,日本人はふつう握手せず,お辞儀だけでけっこう深い人間関係を結んでいます.きわめて衛生的です.日本人は指輪をはめないでりっぱに家庭生活をしています.きわめて経済的です.肌でさわらなくても,高価な金属に頼らなくても,精神は生かされるものです.肉体もそうです. 日本人がいわゆる宗教というものに対して冷静ないし冷淡なのも,目に見えるもの,手で触れうるものよりも,精神が重んぜられているからです.道教よりは儒教,小乗仏教よりは大乗仏教というように,われらの先祖は精神性を重んじてきました.日本仏教がアジア諸国に比べて健全であるのは在家の精神性が密教的要素を防いだからといえます. 聖書をひとり学んで罪のゆるしの福音に接するよろこびが大きな力になりつつあります.形式的宗教における目に見えるもの,手で触れうるものを管理運営するための人的物的負担が整理されて,聖書の福音が苦しむ人々の精神性に浸み込み,衛生的かつ経済的な形で個人と社会を新しく生かすのです.そして,例えば福音的に生きうる感謝とよろこびの成果という,目に見えるもの,手で触れうるものが与えられつつあるのは,神の国の来臨のはじまりではないでしょうか. |